週刊メッセージ

週刊メッセージ“ユナタン”26(はっと)

2017年1月6日 金曜日

≪ユナタン:26≫ at はっとこども園

~ クラス全体のために小グループで「対話」 ~

平成28年11月22日 片山喜章(理事長)

何事も話し合って事を決めて行動すると、決まった事に弾みがついて動きます。というか、これって、民主主義の基本のキです。しかし、保育や教育の世界では、先生1人が決めたり、教えたりし、生徒はそれに従ったり、学んだりすることが多いです。それに対して保護者の方々も日本社会自体もさほど大きな疑問も抱かずに“それでよし”という上意下達の文化が存在します。
昨今、問題になっている企業文化にも似たような因習が存在すると思われます。保育のなかで様々な事を子どもたちとともに話し合いながら決めていくことは、引いては「人権尊重」とも深くかかわっていくのだという認識が、少しずつ園文化になりつつあります。

4歳児そら組の子どもたちと「対話」にウエイトをおいて、クラス活動を子どもたちと考えることにしました。クラス全員が参加しては「対話」にはならないので、少人数で「対話」し、そこでクラス活動を決めるという方法で試してみました。異年齢のグループが4つあるので、今回、まずは、そのなかの“るんるんグループ”の7人が企画メンバーになりました。

1回目の話し合いでは「クラスみんなでこんな遊びをしたら楽しいってものを考えてみよ」と投げかけると「スライムはどうかな」「散歩に行きたい」と自分がしたいことを思い思いに発言しはじめました。その後、「スライムはもういっぱいしたし、おもしろくないと思うから違うものしたいな」とさっきの提案に反対する意見が出ました。一瞬、場がシーンとなりました。
そんなときは先生に助け(依存)を求めがちになります。「先生、こんなんはどう?」「先生、これしたいんやけど」と‥‥。しかし、担任は子どもの言った事をメモ書きして、忙しさを装うと、気持ちが吹っ切れたのか、「じゃ~何するー?」「何したらみんな喜ぶやろな~」と子どもどうし“たいわ”がはじまりました。保育室を見渡す子ども、すぐ横にあった《かがくであそぼう》の図鑑を取り出して、「ここに、みんなが楽しめそうなんあるかも」とページをめくると7人が一斉に肩を寄せ合って眺めて‥‥「これはおもしろくないな」「これは役にたたんな」「これ外でできるよ」「でも部屋の中のほうがいいやん」とたくさんの会話が飛び交いました。

自分がしたい遊びを考える気持ち、クラスの友達がして楽しめそうな遊びを思い描く姿、そして何よりも、この7人で「大事な事」を決めるために話し合っているのだという自己有能感。
この3種が入り混じった心的状況のなかで、少し神妙な言い方で「ちょっと先生、この説明、読んで」と担任に尋ねました。その説明を読みあげると「よし、これがいい」「これがいい」と全員が納得して決めた遊びが「空気を押してみよう」という浮沈子(ふちんし)を利用した科学実験のような活動でした。けれども、それをするには、たくさんの準備物がいります。しかも、クラス26人全体でとなると、26セットは必要になります。さてさて、どうするのやら…。
用意する物は“ペットボトル”“魚型のしょうゆ入れ”、そして“ナット”です。「僕はペットボトル集める」「ジュースとかいっぱい買ってもらうわ」「私は魚のしょうゆ入れ、お母さんに聞いてみる」とすぐに手に入るものはよかったのですが、「“ナット”は?・・・」と担任の方を見つめる子どもたちです。子どもたちの熱いまなざしに押されて担任は「じゃ~せんせい、買ってくるね」と応えると、子どもたちの顔つきは緩んで、意欲が満ちてきました。

「でも、るんるん(グループ)だけで集めるのも難しいから、みんなにも伝えて協力してもらおう」と一人の男の子の意見で、クラスお集まりで「こんな遊びをするから、こんなものが必要なので協力してほしい」と自分たちで伝えました。ここで一旦、「対話」は終わりました。
数日後、「お友達の分も持ってきたで」といくつかまとめてお家から物を持参してくる子もいて準備は整いました。るんるんグループの子どもたちは、「これで、自分たちで決めた遊びができる」、とまさにルンルン気分で、そして先生気取りで、当日を迎えることになりました。

当日は、活動前にるんるんグループで、机の準備をして、手順や役割について打ち合わせをしました(一度、自分たちだけで作って試していたのです)。「だれがしゃべる?」「だれが図鑑を持つ?」「ちょっと恥ずかしいな」「みんな聞いてくれるかな」と普段あまり見せない、緊張した様子の子どもたちでした。全員集合し、活動が始まると、堂々と、しっかり遊びの説明をしている子どもたちに、始める前は少し不安だった担任も、この姿に驚くほど感心しました。クラス全体が、彼らが提案し、伝授した活動に満足した様子で活動を終えることができました。

その日の夕方、るんるんグループだけで振り返りを行ないました。「対話」し「実践」した後には必ず「振り返り」をする、というのは、子どもの活動においても「園文化」になっています。
実際にやってみると「失敗するお友達に、違うよって教えてあげた」「困っているお友達にやり方教えてあげた」「みんなが、これどうするの?って、言ってきてくれて(頼ってくれて)嬉しかった」と、良い表情で「対話(感想の交換)」がなされました。「机の準備とか最後片づけるのもしんどかったな~」と愚痴る言葉にも達成感が詰まっていました。

何事も話し合いをし、対話をしてすすめる、という事の大事さは理解できても、実践するのは難しい現実があります。なぜなら、私たち保育者(教師)は、無自覚にあたえられたクラス集団、ここでは4歳児そら組という単位で事をすすめようとする習性が身についています。小学校でも然りです。この発想から抜け出さない限り、教育・保育に未来はないとさえ言えます。

今回のように7人の子どもが「対話」によって考えた活動を手分けしてクラス集団に伝える、つまり、子どもが子どもに教える一種の対話形式の教育方法が教育界全体の主流にならなければ、教育が他児との競争に終始してしまう危険性が一層、膨らみます。能力格差が優越感と劣等感を生み出す現況を打破するためにも学び合う集団づくりが大切です  【資料提供:定久恵美】

週刊メッセージ“ユナタン”26(池田すみれ)

2017年1月6日 金曜日

ユナタン:26≫ at 池田すみれこども園

~ たこ焼き から うどん作りプロジェクト へ 

平成28年11月22日 片山喜章(理事長)

《やりきるクッキングは少人数グループでこそ》

今年度からの新たな取り組みとして5歳児クラスで“やりきるクッキング”と称して4月から夏のお泊り保育に向けて、同じメニュー(たこやき)を作り続けてきました。その名の通り、子どもたちの力だけで“やりきる”ことです。当日だけでなく、買い物、準備、調理、片付けという一連の流れを大人の手を借りずにすることです。このような保育(教育)はプロジェクト型といわれ、保育界ではにわかに広がりつつあります。学校教育でも“アクティブ・ラーニング”として今後一層取り入れられる見込みです。

この取り組みを提案した時、担任は“おもしろそう!”と言った反面、“ほんとに、できるん?”と少し懐疑的でした。しかし、担任のシンパイをよそに、子どもたちはぐんぐん突き進んでいきました。なぜならクラス一斉の活動ではなくて、4~5人の小グループで“自分の思いを出さざるを得ない状況”の中、毎回、同じメンバーで同じ担当職員(担任以外の職員)で見事にこの活動を充実させていってくれました。

《おうどん はじめました》

そして、10月から“食育プロジェクト”の一端として≪うどん作り≫を始めました。今回は、栄養士指導のもと、たこ焼きの時と同じように小グループで取り組んでいます。

取り掛かりは“ねばりの実験”と称し、薄力粉・中力粉・強力粉で生地を準備していきました。少し寝かせてから水を張ったボールに生地を流し込み、そこに自分たちの手を突っ込んでは“ねばりの度合い”を体感していました。手についたたくさんのグルテンたちの感触に「なんやねん!これ~」と不快感を示したり、不可思議に感じたり‥…。

先日“どうしたら、あんな細くて長いうどんが作れるの?”という素朴な疑問からはじまって、栄養士とともに、うどん作りの第一回目を行いました。最初は先生たちが計量した水と小麦粉と塩を混ぜて“生地作り”です。前回と違ってべっとりした生地でないことを感じながら、順番に交代しながら生地を踏み続けていきました。普段、生地作りからすることなどない子どもたちにとって“どうなるんだろう”と先行きのわからないわくわく感が表情から見て取れました。寝かせた生地の形を整え、伸ばしていき、食べやすい太さに切っていきました。ここまでが一回目で経験したことでした。

今後は“だし”をどうするのか、と考えたり、子どもたちとともに具材を検討したり、互いに食べて味を比べ合ったり、あれこれ担任と栄養士は計画しているところです。

《こんなこともありました》

たこ焼きと違って子どもたちには馴染みのない初めてのことなので、栄養士がその都度、手順を伝えていきました。テーブルに置かれた説明書をまじまじと見つめるA君は、テーブルに運ばれる材料を見ては説明書で確認します。栄養士の話が終わると説明書を片手にリーダー気取りでグループの仲間に指示します。「はい、次は****して!」と威勢はよいものの、水と塩を混ぜるところでは、「はい、みんなで粉を入れよう!」と順番抜かし?に他の仲間から、「A君、それはこの後!」とたしなめられる場面も。

それにもめげず、混ぜる工程に入ろうとした時に我先にと仲間が身を乗り出した時、A君は、「じゅんばんに、まぜよう。あっ、Aはさいごでいいよ~」と指示。仲間に譲る思いやりの気持ちがあるのか、それとも…?

「1.2.3…」と10を数えたら交代するルールができました。B、C・・と順にしていき、最後にA君の番。10を数えても無言で、次の工程に入るまでずっとかき混ぜていました。次は、薄力粉を入れてこねる作業です。ここでもA君は、また「Aはさいごでいいよ」と一言。「?!」 これまでまっ先に自分からしたい、と身を乗り出してきたB君は違和感を覚えます。B君は自分の順番を終えても、全体の様子を凝視しだしました。他の子どもは嬉しそうにこねますが、あっという間に「10」が過ぎてしまいます。そんななかA君の動きを見つめるB君。10を越えても… 「なんでAだけ、いっぱいなん?」と鋭い指摘。“あぁ~ もめるかな~”と担任は黙って見守っていましたが、A君に詰め寄ることなく、B君の提案でボールをテーブルの中心に置き、“みんなでいっしょに混ぜる”というものでした。

《同じテーマを少人数でくりかえし》

同じ活動でもクラス全体で一斉に行なうと、散漫になる場合があります。このプロジェクトは、クラスを2分し、2日に分けて行ないます。1回につき4グループに分かれますから、1つのグループは4~5人です。また、活動場所も広いランチルームですから、子どもたちどうしで話し合える条件や環境が整います。ですから、子どもたちは落ち着いた心持ちになれるのだと思います。落ち着いた環境であるからこそ、A君の自分本位の行動を見破ったB君は、怒りをぶつけることよりも、“みんないっしょに”という新たな知恵を出せたのかもしれません。

うどんの仕上がりや感想はグループによって、それぞれでした「太すぎ!」「かたい!」「おいしい!」「麺がすすられへんやん!ちぢれ麺」…。生地のこね方はこれからですが、個々の気持ちはしっかりこねることができたように思います。子どもたちも担任も栄養士も次回が楽しみな手打ちうどんのプロジェクトです。 【資料提供:平井 裕子】

週刊メッセージ“ユナタン”26(なかはら)

2017年1月6日 金曜日

≪ユナタン:26≫ at なかはらこども園
~ 卒園児とトライやるウィークの中学生と在園児 ~

平成28年11月24日 片山喜章(理事長)

卒園した子どもたちは、ピカピカの1年生の4月、ご自慢のランドセルを背負って、毎日のように園にやってきます。卒園後、わずか数日しか経っていないのに大きくなったように感じてしまいます。その後は何か用事があったり、頼まれごとがあったり、そして、時々、思い出したように園を尋ねてくる子がいます。

先日のことです。卒園して2年が過ぎて小学3年生の女の子が3名、園にやってきました。ちょうど同園会の案内のハガキを送った直後だったので、きっと、遊びがてらに連れだってハガキを持ってきたのだろうと思いましたが、そうではありませんでした。
そのなかのAちゃんが、在園中、ある保育者がお気に入りだった「マトリョーシカ(ロシアの人形)」のことを思いだして、「今、通っている“工作教室”で作ったの」とわざわざ贈り物として園に持ってきてくれたのです。

このAちゃん、在園していた時は、なかなか自分を出しきれず友達との関係にも苦労していました。けれども、卒園後は、何度か忘れた頃に来ては自分の近況を語って帰っていました。学校のことや習い事のこと、家族のことなど話題は様々です。
このような姿にふれる時、私たちは考えてしまいます。「おとなしくしていること」、「控えめであること」を、自分を出せていないと捉える“見た目主義”の捉え方や評価の仕方を見直さないといけないと思います(ご家庭においてでもです)。

Aちゃんも在園児時代、いろんな事を感じ考えて、いろんなことを吸収していた。しかし、感じ考えた事を即時に表現はできなかった。卒園して、時を経て、少しずつ表現する力を得るに至った。「感じ考えた事」と「表現する」の間には、その子特有の「時間差」があることを心がけて、こども園時代の教育・保育の任にあたりたいと思います。

Aちゃんは、“贈り物”を渡した後、2階に上がりたいというので案内しました。
2階には、たまたま卒園して、“トライやるウィーク”で来ている中学2年生の女の子が3名、いました。そして、ばったり出会いました。
とても奇妙な、不思議な空気が流れ、時間が後戻りしているような感じがしました。Aちゃんたち3人…「あの人たちなにしてるの?」と不思議そうに尋ねました。保育者…「トライやるウィーク、っていって中学生のお兄さんお姉さんが大人になったらどんなお仕事をするのか、ほんとうにやってみて、考えて、お仕事を考えているの。このお姉ちゃんたちは、なかはらこども園の先生たちのお仕事を勉強しにきてるのよ」と、話していると、彼女たちは、親しげに近寄ってきました。

よく考えると、この中学生たちが、5歳児ぞう組の時にAちゃんたちは0歳児だっのです。中学生たちは、なんと、Aちゃんたちを覚えていました。8年前なのに。彼女たちは毎日まいにち夕方になると、Aちゃんたちのいる0歳児のお部屋に来て、おやつ
を食べさせたり、遊んだりと、お当番活動をしていたからです。このお当番活動は、毎年続けられていました。3.4.5歳児の異年齢の生活や活動とは異なる格別の経験をしていたのです。時を経て、クラス活動のことは、忘れてしまっても、毎日のように、赤ちゃんを世話したことは、やわらかな記憶として留まるのだと考えさせられました。Aちゃんもぞう組の時、このやわらかな経験をしています。自分を出せないように見えていても、お世話をして入れる時は、黙々と経験していました。そんな経験の数々が、彼女を「工作教室」に通わせ、そして、わざわざ作品を持参して来園するという判断に至らしめたのは興味深いです。0歳児から5歳児まで生活し、子どもどうし、お互いの成長に影響をあたえあうこの「こども園」の強みをあらためて認識させられました。

…懐かしいね。Aちゃんたちも中学生になったらこうやって、なかはらこども園にお勉強にくるかもしれないね…などと話をしていると、そこに現在5歳児のぞう組のこどもたちもやってきて話に加わりました。Aちゃんたちは、見覚えのある子たちです。
「中学2年生」と「小学3年生」の関係を説明すると、一人の5歳児が「じゃあ、○○も中学校に行ったらここに来るん?」というので「○○ちゃんが中学生になった時に
なかはらこども園に来たいって思ったら、来れるかもしれないね」と話は弾みました。

このこども園が在園児だけではなく、卒園後も集える場、小学校を卒業してからも関われる場であることを、このわずか数時間で、実感することができました。これからは地域の子育て拠点となる、と気負わないで、せめて、卒園した個々の子どもの育ちを支えるようなプランを練っていこうと画している最中です。 【資料提供:佐々井 智恵】

週刊メッセージ“ユナタン”28(みやざき)

2017年1月6日 金曜日

ユナタン:28≫ in みやざき保育園

 サラリーマン(?)ごっこ

平成28年12月15日  理事長 片山喜章

昨今、子どもたちの“ごっこ遊び”を見聞きしていると、時代の変化が映し出されて、面白く感じることがあります。例えば携帯電話が普及しだした頃は、小箱を片手に握りしめ、耳元にあてて、1人で話し込んで、時には頷いている姿も見られました。そして今は、スマホです。少し大きな平らな素材を片手に持って、睨みつけながら、もう片方の手で人差し指をしゃ~しゃ~と動かして検索気分に浸っています。この園で“ごっこ遊び”が深まる背景には、朝夕のコーナーと毎週火曜日のコーナーの日の活動が大きく影響していると思われます。私はコーナーの日を≪スーパーチューズデイ≫と名付けています。なかでも“ごっこ遊びコーナー”は、制作コーナーとリンクして、とても充実しています。深みがあります。保育園関係の見学者は感嘆し、驚愕します。

以前、私が事務室で他の先生たちと大事な話をしていると、ねじり鉢巻き姿の“お店の人”が、“おしながき”と“注文票”を持ってやって来ました。あれやこれやと本気で注文すると、まちがいなくその品物を届けてくれました。大事な話は中断です。お客さんになる方が大事ですから。

ある夕方のことでした。5歳児りんご組の男の子が数名、腕を組んだり、腰に手を当てたり、大人モードで話をしていました。近くに居た担任も、何となく仲間入りさせてもらいました。「おれは部長!」「ぼくは課長になる!」と言っていたので、担任は「社長はいないの?」と尋ねると「社長は1人の部屋でお仕事しないといけないから嫌だ~!」といって、誰もなりたがりませんでした。子どもたちのこの想い、本気なのか、わきまえているのか、それとも現在のサラリーマン気質を反映した台詞なのか、それは定かではありません‥‥。

(サラリーマンごっこと名付けているようです) サラリーマンごっこが始まると、子どもたちはお互いのことを「○○さん」と苗字に「さん」を付けて呼び合います。そして会話は敬語です。

「今日は夜中の2時まで仕事をしていかないとダメなんですよ~」とYくんが言い、面白いことを言うなーと思った担任は「家で奥さん待っているのにいいんですか?」と突っ込んで尋ねてみると「いいえ、ぼく、一人暮らしなんで!」と返ってきます(そうだったんだ~と担任は納得)。

それを聞いていた他の子たちは、すかさず「うちには息子がいますよ」「うちにもいます」と次々に“家庭”の話し始めたのです。「息子さんはおいくつですか?」と担任が尋ねると、「うちは3歳です」「うちは6歳!」「うちには息子と犬がいるんですよ」と会話が広がります。だれも笑ったり茶化したりしません。真剣です。もしも、“ごっこ”に興じる子どもたちのほんとうの“ご家庭の情報(事情)”が、リアルに現れ出たら、どうしよう!? はらはら、どきどき、そして、わくわくの担任でした。

すると突然、Tくんが「じゃあ今日はこのあと飲みに行きましょうよ~」とみんなを誘うと「いいですね~」「行きましょう」「そうしましょう」とみんなで飲みに行くことになりました。飲み屋さんって、どこだろう? と自分も飲みに行きたくなった担任は、いっしょに連れていってもらうことにしました。

辿り着いたのは「科学コーナー」でした。「科学コーナー」のテーブルを囲んでみんなが座り、「ビール1つ!」「私も!」。そして「やきとりをください!」「ぼくはつくねをください!」「ぼくは皮!」と次々に注文しました。ここは、焼き鳥屋だったのです。けれども、店員さんはいません。

が、「かんぱーい!お疲れさまでしたー!」と発声があがり、飲み会が始まりました。飲み会が終わるころには、Tくんが「今日は“わたし”がごちそうしますね!」と言い、Sくんが「では次は“わたし”がごちそうしますね!」という会話があり、帰っていき、また次の日、この“ごっこ遊び”は出社するところから繰り返されていました。

お父さんといっしょに飲み会に行ったことがあるのか、ドラマの影響なのか、子どもたちはよ~く知っています。サラリーマンごっこに参加した担任は、子どもたちの姿に感心し、そして、いっしょに楽しんでしまいました。この遊びがすすんでいくと、男の子たちみんなが自分のことを「わたし」「わたし」と呼んでいることに担任は面白くて吹き出しそうになりましたが、同時にこのようなやり取りが長く続いていくことに不思議さを感じざるを得ませんでした。子どもたちは、私たちが思っている以上に大人の言動をよく見聞きしています。このエピソードがスゴイところは、それを友達と共に再現しようとし、実際、マジにドラマのように演じ切るこの子どもたちの姿です。これこそ、真の幼児教育の成果である、と大袈裟ではなくて、心底から私は感じ取ることができます。

いま、国は大規模な教育改革を進めようとしています。けれども、核心的なところがおかしいです。乳幼児期の教育・保育はとても大切であるという文言は、あちこちで耳にしますが、保育園や幼稚園の教育が小学校教育の下請けという発想が為政者の頭の中にも多くの大人たちの胸の内にも存在することが残念です。このような豊かな遊びや協同性のある活動を通して、読み書きや計算の術を学ぶことは同時に、ポジティブに生きている経験でもあるのです。

この保育園で繰り広げられているコーナーでの遊び、特にごっこ遊びにおいては、「見立てる力」から「成り切る力」に発達している事が伺えます。彼らは、サラリーマンごっこを楽しみながら、同時にそれが途絶えないように頭(知力)を使います。そして、それが知的な発達を促していると私は捉えています。絵本やお話を読んでもらってイメージを豊かにする日常、家庭やテレビの影響を受けたことを再現する活動、これらは、コーナーで自分の好きな遊びを選んで、没頭する経験とあいまって、教育・保育の根幹を成すとご理解いただきたいと願います。今回のサラリーマンごっこは、あらためて日頃の保育の賜物だと思いました。   【エピソード提供:川崎かおり】

週刊メッセージ“ユナタン”28(池田すみれ)

2017年1月6日 金曜日

ユナタン:28≫ at 池田すみれこども園

1歳児でも子どもは子どもから学び育つ

平成28年12月22日   理事長 片山喜章

保育、特に乳児保育といえば、「先生は子どもをお世話する人」「子どもはお世話される人」という固定概念が社会一般に限らず、保育者のなかでもそう思う人がいます。その一方で昔から「集団作り」という保育理念があって、0歳児から集団が機能する、つまり、子どもどうしが影響をあたえ合いながら育っていくという考え方で実践している園もあります。

最近は保育者との愛着関係を基盤に、子どもどうしが学び合って育っていることが、脳科学の分野で明らかにされてきました。問題は保育者や保護者がそのような「事実」に気づいて、実践しているか、どうかです。もちろん池田すみれこども園の先生集団は、子どもは子どもからより多くを学び、子どもどうしが影響し合って育つことを基本認識として、理解しています…。

1歳児赤組のAくんは、とても活発で動くのが好きな男の子です。言葉も多く、お友だちとの関わりもたくさん見られます。しかしその一方で、自分の思い通りにならないと、すぐに泣き崩れてしまい、切り替えるのに時間がかかります。そんな時、先生たちは落ち着かせようとなだめたり、抱っこしたり、あの手この手でAくんにかかわります。そんなAくんの姿を見て、特にここ最近、周りの子どもたちの姿に変化が現れはじめました。

ある日、玩具の取り合いがあって(Aくんが横取り)、思い通りにならなくて泣き崩れてしまいました。担任はすぐに駆け寄らず、あえて少し様子を見ていました。すると、そこへBちゃん、Cくんが近づいてきて、Aくんの目をみながら、何やら慰める姿が見られました。あれだけ泣いていたのに、Aくんは泣き止みました。Bちゃん、Cくんとどんな会話をしたのか、言葉としてよく聞きとれなかったのですが、とにかく泣き止んだのです。これはAくん自身に「理解」や「納得」する気持ちが内側から生れたからだと思われます。脳の抑制機能がはたらいたのです。

駅やスーパーでダダをこねて泣きわめく我が子を、無視したり、怒鳴り散らしたりする母親の姿をよく見ます。悪循環になるのはわかっていても、どうすればよいのか、わからなくて困っている親はたくさんいると思います。叱られても恐ろしいだけで抑制機能は、はたらかないのです。

今回、Aくん自身の中にある“泣き止もうとする力(抑制機能)”を引き出したのは、お友だちです。Aくんが泣き崩れる姿をいつも、いつも見ていたBちゃん、Cくんは、Aくんのことをかわいそうに感じて近寄ったのだと思います。他者の痛みを感じて、何とかしてあげようとしたのだと思います。そんな2人のやさしさが伝わったからこそ、Aくんは「納得」して泣き止めたのでしょう。

Aくんは午睡明けに一番崩れやすく、通常、担任が一人ついて、落ち着くまで寄り添っています。ある日、いつものようにAくんはなかなか起きられず、ベッドで横になったままです。

そしていつものように担任が向おうとすると、先に仲の良いDくん、Eくんが近づいてきました。担任は、この前回の事もあったので、試しに「Aくん、起こしてあげて~」と言ってみました。すると2人は、Aくんのそばに行って、ベッドの左右に座り込んで担任がするように、Aくんをゆすって「おきて~」と起こし始めました。担任が言うより使命感をもって、「おきて~」と言い続けます

しばらく様子をみていると、Aくんがむくっと起きました。そのとたん、2人は「Aくん起きた~」と嬉しそうに言いました。Aくんもいつもとちがうパターンに新鮮さを感じたのか、泣き出すこともなくそのまま起きて着替えをはじめました。1歳児といえども、子どもが子どもをお世話する方がはるかに効果は高いことが伺えます。その光景に、担任も驚いて、日頃、言葉では理解している『子どもを育てるのは子ども』という文言がその瞬間、全身に浸み込んだ、とのことでした。

その後、三人は、なかよく手を繋いでトイレに向かいました。

また、サーキットに行くときのことです。Aくんは、サーキットに行くタイミングが遅れてしまい、手を繋ぐ相手がいなくて、「手を繋いで行きたかった」と訴えて泣いていました。サーキットをしている最中も涙は止まりません。すると、その姿を見て、Fちゃんがさっと駆け寄ってきました。何やら真剣な表情で話しかけています。それでもなかなか立ち直れないAくん。すると、EちゃんがDくんを手招きしました。そこへDくんがやってきて、二人でAくんを囲んでまた何やら真剣な表情で話をしています。その様子を担任はじっと観察し、見守っていました。

もし、観察していなければ、この場面では、「ちょっと、ちょっと、Aくん、Dくん、Fちゃん、そんなとこで、何してんの!」「いま、サーキットするときでしょ!」と注意してしまう可能性(危険性)があります。「子どもの行動にはすべて意味がある」のですから、その意味を観察しながら、理解するのが保育者(親)の務めです。注意や叱責するのは、理解し共感した後にする事です。

すると急にAくんの表情がぱっと明るくなり、三人でなかよくサーキットに向かう姿がみられました。そこで何が話し合われたのかはわかりません。しかし、保育者が寄り添ってなだめたり、促したりする方法とは別次元の、この1歳児の子どもたちどうしで通じる方法でやりとりしているのだと推されます。まだまだ大人の手助けが必要な1歳児ですが、担任たちは、改めて子どもどうしのかかわりあいによって子どもは学び育っていくことを目の当たりにしたとのことです。

このような子どもを観察し、見守って子どもの力を感じる体験は、大人の脳をも成長させていると、新たな(知見)は語っています。(オキシトシンで検索)【資料提供:西脇芽衣】