種の会からのお知らせ

魔法の言葉 #ユナタン②

2021年8月  片山喜章

ある園の2歳児クラスでの出来事です。

ポール(仮称)は、月齢も高く、言葉数も多く、自分からトラブルを起こすことは滅多にない男児です。その日もお気に入りのブロックで彼なりに立体を組んでいました。L字型から凹型に、何やら素敵な箱かビルが出来そうです。その様子を横でジョン(仮称)がじっと見ていました。おそらく自分も同じ遊びがしたくなったのか、ポールのほうに寄って来ました。ジョンは月齢が低くまだまだ言葉で思いを表現できません。活発なポールと言葉よりどちらかと言えば手の方が出てしまうジョンの2人は、ふだんからいっしょに遊ぶ場面が多く見られます。不思議な気がします。じっくり観察していると、彼らは兄と弟のような、つまりポールが主導でジョンはポールからいろいろ学んでいる、そんなふうに見えることがよくあります。

その日、ポールはたくさんのブロックを使っていました。ポールのブロック遊びが気になって寄ってきたジョンに対して、ポールは突然「だめ~!」とジョンを寄せ付けまいと大声を出しました。ポールは「ジョン君、あっち」と言葉で自分の気持ちを伝えて自分の使っていたブロックとテリトリーを守ろうとしましまた。ジョンはそんなことはお構いなしにポールのテリトリーに侵入してきました。「ジョン君、だめ~、あっち」とポールの声。するとジョンはポールを押し倒してしまったのです。そしてすかさずポールの目の前にあるブロックをいくつか掴みました。

一瞬の出来事で止めようもありませんでした。

ジョンは自分が手にしたブロックの1つをポールに手渡そうとしました。きっといっしょに遊びたかったのでしょう。ジョンに倒されたポールは、泣きはしませんでしたが、その場にブロックを置いてジョンから離れるようにさっさと壁際の棚に向かっていきました。そしてそのまま黙って立ち尽くしてしまいました。

このようにポールが遊んでいるところにジョンがやってきて、いっしょに遊ぼうとしても、結局、遊びを壊すような場面は、これまで何度かありました。そして、しばらく壁際で固まっていたポールは急にジョンのところに駈け寄り、ジョンを押し倒してしまいました。ジョンは、ふいを食らった感じで、泣いたり怒ったりせず、 ただ茫然とポールの顔を見つめていました。ポールの方は、何かしら悪い事をしたような気まずい表情になり、花子先生の方をじっと見つめます。花子先生は何も言いませんでしたが、気持ちのなかでは、「いま、ポールはジョンに“ごめんなさい”が言えそうな気がする」という願いを表情に浮かべて、ポールに伝えているようでした。花子先生の気持ちを感じ取ったポールは、戸惑いとも気まずさとも何ともいえないような表情になり、その場で下を向いてしまいました。

ジョンだってポールを最初に押し倒したのに! 花子先生、なぜ、ポールにだけ“ごめんなさい”の言葉を期待するの? 

不思議な気がします。この場面を見ていた他の先生たちからもポールに“ごめんなさい”の言葉を期待する表情がありました。

ポールとジョンのいるあたりの空気は重く澱んでいます。そのとき、少し離れた場所に居た百合子先生から「仲良しなんだから」という言葉が飛んできました。それだけです。「仲良しなんだから」という響きは瞬く間に室内に拡がり、ポールは急に笑顔になりジョンをギュ~とハグし、ジョンも嬉しそうにギュ~とし返して、そのまま2人は座り込んで、彼らなりのやり方でブロック遊びに興じることになりました。言葉の意味は理解できなくても、言葉に宿る意味は感じ取れるのですね。

花子先生は、このときのことを振り返ります。ジョンがポールを倒したのは、「いっしょに遊ぼう~」の非言語的な表現で、ポールも実はそれをわかっていたが自分1人で遊びたい思いの方が強かった。ポールがジョンを倒したのは、良くないことだとわかっていた。だからすぐに叱られまいかと保育者の方を見た。しかし、ポールの気持ちを考えると、そこで“ごめんなさい”という言葉を期待するのは、良くない意味での保育者気質。「ごめんなさい」を言うなら、ポールではなくて保育者(花子先生)がポールに成り変わっていう方が良い。2歳児にとって、それが保育者の役割としての「トラブルの仲裁行為」と解せるかもしれない。

しかし、「迷い」「葛藤」満載のあの場のどんより重たい空気を一気に払いのけたのが百合子先生の「仲良しなんだから」というたった一言でした。

保育者の言葉は、多種多様、多彩多岐で、それによって、子どもたちの気分や場の状況を大きく変えます。「指示したり命令する言葉」、「お願いしたり誘ったりする言葉」、これらの言葉は一方通行です。「仲良しなんだから」はなんでしょう。この場面では、まさに、おひさまのような言葉でした、ね。