種の会からのお知らせ

週刊メッセージ“ユナタン”26(もみの木台)

ユナタン:26≫ at もみの木台保育園

~ ザリガニの死がくれたもの ~

平成28年11月18日 片山喜章(理事長)

幼児クラスの絵本コーナーにはザリガニの水槽が2つあります。1つにはオスのザリガニ、もう1つにはメスのザリガニ(赤ちゃんも一緒)がいます。毎日、目にする場所にあるので、子どもたちは水槽の掃除やエサあげを手伝ってくれます。ただ、率先して手伝ってくれるのは、ザリガニを怖がらず触れることのできる5歳児が中心でした。

3歳児のAくんは、ザリガニに興味ありました。けれども、触ることにはまだ抵抗があり、掃除をしている保育者や友だちの様子を少し距離をおいて、じっと見ていました。

ある日のこと、メスのいる水槽が空っぽで、オスの水槽にメスザリガニと赤ちゃんが入っていまいた。それを発見した先生は「危ない…」と驚いて、その後、子どもたちに問いかけました。すると「Aくんが、やった!」と声があがり、Aくん本人に問いかけてみると【自分がやってしまった】ということでした。ご存知のように、ザリガニは、“共食い”をします。特にオスのザリガニは、小さなザリガニを食べてしまいます。

その事を子どもたちには(Aくんにも)「知識」として言葉で伝えていましたが、言葉だけで、好奇心や探求心を抑えられるような「知識」ではないと考えさせられました。

園庭あそびの時間、先生はAくんと保育室に残り「どうしてやってしまったの?」と問いかけてみました。Aくんは【おもしろかったから・・】と目を伏せながら答えました。【おもしろかった】というAくんの話しぶりで、何人かが集って、ワイワイ言いながらやってしまったと思われました。そこで、「やってしまったのはしかたないけれど、このままに放っておくの?」と問いかけると、Aくんは、少し考えてから「元に戻す」と答えたので、先生は、メスザリガニと赤ちゃんを、それぞれの水槽に戻しました。

戻す作業をしていると、死んでしまった2匹の赤ちゃんザリガニも見つかりました。その2匹をAくんは、何とも言いようのない表情で見ていたのです。

「ザリガニのお家(水槽)を2つにわけていたのは、オスのザリガニが赤ちゃんを食べてしまうから、別々にしていたんだよ」と先生はあらためてAくんに伝えました。

こんな時、保育者として、3歳児の子どもにどのような言葉がけをすれば良いのか、悩ましいかかわり方です。「いけない事だから、もう絶対しないでね」と念押しするか、「この経験によってAくんは、“いけない事をした”と後悔しているだろうから、あまりきつく言い過ぎないほうが良いのか」と考えるのか、みなさんはどう思いますか?

水槽を元に戻した担任は、ゆっくりした口調でAくんに言いました。

「もし、Aくんと同じように“やりたい”って気持ちになって“やっちゃえ”と言って、やりそうになっているお友だちを見つけたら、Aくんが“違うんだよ”“やっちゃいけないよ、“赤ちゃんがたべられちゃう”って教えてあげたら、センセイ、嬉しいな」と声をかけました。すると、にわかにAくんの表情が明るくなり、「分かった!」と力強く答えて、そのまま園庭に出て行きました。この日から、Aくんは、ザリガニの水槽を掃除していると以前よりずっと近い距離でその様子を見守ってくれるようになりました。

今回のエピソードをふりかえると、いろんなことが見えてきました。

最初、Aくんと担任が話をした時、Aくんは“やってしまった・・・”と反省しているようにも見えます。しかし、それは、赤ちゃんザリガニを死なせたというよりも、先生にみつかってしまい、そこにいた友だちから「Aくんがやった、Aくんが・・!」と非難の声があがったことに対して、辛い気持ちになったように思われます。その時のAくんの様子を見て“やってはいけない”“なぜ、いけないのか”その辺りの認識は微妙ですが、してはいけないことを、やってしまったことだけはわかっていたように思えます。

概して、子ども時代、誰しもやってはいけないことは、したくなるものです。実際、やってみたらどんな災いがくるのか怖いもの見たさと同次元で試してみたくなります。それは探求心や好奇心の現れで、必要悪であるようにも考えられます。

ザリガニを分けているのは『食べられてしまうから』という理由を言葉で知っていたAくんにとって「食べられる」ということに『リアリティ』が持てなかったと思います。

しかし、実際に死んでしまった赤ちゃんザリガニの処理をした体験は衝撃的だったでしょう。そこではじめてAくんは『水槽を分けている理由』を心底に刻んだように思います。同時に“興味があったザリガニが自分のしたことで死んでしまった…。

もう、こんなことはしない!”とAくんはしみじみと「理解」できたと思われます。

このように子どもの心理はひじょうに複雑です。そこを大人が理解する事が大切です。多くの大人は「子どもには、やっていい事といけない事を教えなければナラナイ」と簡単にいいますが、諭す大人との信頼関係が無くてはならず(信頼関係で結ばれた親子なら厳しく叱責しても良いと思います)、担任と生徒の関係なら、厳しくても自尊心を傷つけないように諭すことが大切だと思われます。今回、先生はAくんの心情を洞察して叱責するより「今度、誰かがしたら、あなたが注意してね」と自尊心に訴える表現をしました。そんなふうに言われると「自分は2度としないぞ」と心地よい気分のなかで自分に言い聞かせることができます。今回のようなかかわり方によって“してはいけない事”を体得します。これこそ保育だと思います。 【エピソード提供:佐藤 廉菜