週刊メッセージ“ユナタン”16-②
≪ユナタン:16≫ at もみの木台
~ 共感するのはタイミング ~
平成28年5月22日 片山喜章(理事長)
毎朝、8時15分まで、0.1歳児クラスにじ組と2歳児クラスそら組は、同じ部屋で過ごしています。ですから、この時間帯は、乳児クラスの異年齢保育と言うことができます。
連休明けのことです。にじ組の1歳児A君は、朝、お母さんとバイバイする時は、涙を流してしまいます。けれども、お母さんの姿が見えなくなると、特にお気に入りの玩具がなくても、涙は止まります。A君はその日、“ブロック”が入っているカゴの近くに座っていました…。
先生は、ブロックの近くで“おままごと”をしている子どもたちに寄り添って、エプロン付けを手伝ったり、三角巾をつけたりしながら、“おままごと”が盛り上がるように言葉をかけていました。実はこの場面、多くの保育者が思案するところです。“言葉かけ”の大切さは、知られていますが、では“適切な言葉かけ”とは何ですか、と問われると、これ!という定説もなく、ケースバイケースです。なので、思案の連続です。その場を盛り上げようと先生の言葉数が多くなり過ぎると、いつしか恣意的になって、子どもから生まれ出るイメージを妨げます。かと言って、黙って“そこに居るだけ”ならイメージが停滞し、遊びが広がらない可能性もあります。
しかし、そんな迷いを取り除いてくれるのは、たいてい近くに居る子どもです。
「センセ、見て~、でんしゃ!」の声。ブロックで遊んでいた2歳児のB君です。
ブロックでこしらえた「でんしゃ」を先生に見せにきたのです。「そう、でんしゃ、なの」と“言葉”を乗車させると「トーキュ~」と返してきたので、先生は、ついつい、嬉しくなって、「何線?」「どこまで行くの?」「次の駅は?」と次々に問いを発して盛り上げに努めます。B君の目をきらきらしたままですが、問いに対する返事は“あやふや”で困惑気味でした。
「よくない言葉かけだったかな」と感じた先生は(彼の頭の中は私の質問でぎゅ~ぎゅ~。まるで田園都市線状態?)、それからはB君の発した言葉に相槌を打つように努めていました。
と、そこへ、泣きやんで間もない1歳児のA君が、自分からブロックに手を伸ばして遊び始めました。いくつかブロックを繋げながら、先生とB君が遊んでいた方をじっと見ていたのです。先生は“自分で造ったブロックを見てほしいのかな?”と思って、「A君…」と声をかけました。けれどもA君は“プイっ”と顔をそらしました。「…?」、先生は、その時、それ以上の言葉をかけることをためらいました。が、しばらくするとA君はまた先生の方をじっと見ます。そこで不思議に思いながら、もう一度「A君…」と声をかけましたが反応はさっきといっしょでした。
先生としては、まさに“どうしたもんじゃろうの~”状態でした。
“A君は、今は、私に話しかけてほしくないのだ”と考えながら、先生はB君と“続き”をしていると、またまたA君からの視線…。“一体、どういうこと…?”と思案して黙って、見つめているとA君は、自分から(いま造った)ブロックを先生に差し出してきました。
“まさに、このタイミング”と察した先生は、「造ったの?」と声をかけるとA君は「しゃ! しゃ!」と答えてくれました。先生は、続けて「でんしゃ! 造ったのね」と話すと、ニコっと笑いながら、「しゃ! しゃ!」とまた答え、またまた新しいブロックを繋げては先生に見てもらおうとしました。この「場面」をどのように解釈すればよいでしょう。
A君は、年上のB君が“電車をつくって遊んでいること”に興味を示し、さらに、そこで先生と対話している“楽しい雰囲気”を味わった。なので、その場では、先生の言葉(関わり)そのものが、欲しいのではなかった。だから、その時、声をかけられても“プイっ”とする。
真意は、自分も電車をつくってみたい、その電車を介して先生と話をするひとときが欲しい、そんなふうに解釈できるのではないかと思いました。
子どもが、とりわけ乳児が一人で、じっとしていると“何かしてあげなくては”と思うのが、保育者気質です。このケースでは、先生はA君のしたいことが察知できずに、ただ漫然とお愛想の言葉をかけました。ですから、結果は「プイっ」でした。お家でも、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さんとわが子(乳児)とのやりとりでよく見られるパターンかもしれません。
探求心のカタマリである乳幼児が、その時、抱いている“興味や関心事”を察知し、共感したうえで、B君と先生のように遊ぶ方が“してあげる”“かまってあげる”よりも、発達を大きく促します(その子が、その時、何を想い、何を求めているのか、アンテナを研ぎ澄まして、敏感に感じ取って、それに応える、それこそが子育てや乳幼児教育の基本であると考えます)。
1歳児のA君は、2歳児のB君が“電車”を造る姿に触発されて(模倣して)、自分も“電車”を造ろうとしました(見立てようとしました)。自発性が発揮されようとするまさにそのタイミングで、先生が声掛けしても興味を示さないのは当然です。そして、自分も造って、B君のように、先生に見てもらおうと、自分から関わりを求めたのです。はじめ、特に意味もなく関わろうとしてもダメでしたが、最後は、A君が求めたタイミングを先生がうまく捉えたと言えます。
この先生がすばらしかったのは、はじめに“プイっ”とされても、A君のことを気に留めていたことです。そして2歳児B君と“でんしゃ”でいっしょに遊んだこともよかったです。この“楽しげな光景”がA君の“やる気”を促し、自分で試みて(造ってみて)、先生に共感を求め、そして先生は応えました。絶妙なタイミングが織りなしたドラマでした。 【資料提供:廉菜】
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≪ユナタン:16≫ at みやざき保育園
~ 話し合いからひろがるりんご組の保育(社会性の育ち) ~
平成28年5月20日 片山喜章(理事長)
みやざき保育園の「園だより」に「地域のページ」“まちのひとにきいてみよう”が、あるのはご存知だと思います。5歳児りんご組の子どもたちが、地域に出向いて、インタビューするコーナーです。今年度から設けました。地域にあるいろいろな職場を訪問して、子どもたちが直接、お話を伺うことは、価値のある体験型保育です。出向く前にまず、“素朴な疑問”を想起するための時間を設けることは有意義です。そこに的をあてたのが今回のドキュメントです。
訪問先は、園だよりの5月号に掲載されているように、「宮前消防署」でした。その数日前、その下地になるような様々な取り組みがあったのです。
もともと、りんご組の担任たちは、「地域の職場見学」を計画し、折に触れ、子どもたちとも話を進めていました。まず、手始めに「保育園のまわりにはどんなものがあるんだろう?」と子どもに投げかけてから、お散歩に出かけたことがありました。そこで、子どもたちは、それぞれ、何かをみつけ、あれこれ考えていたようです。また、途中で、立ち止まって「あっ、○○○だ」「○○○は△△△するところだよね」と友達どうしで、話し込む場面もあったようです。
園に戻ってから、その日の感想を話し合ったあと、担任は、「では、みなさん、おうちの周りにはどんなものがあるのか、見てきてね、木曜日に、お話し聞くからね」と伝えました。
すると、その前日の水曜日、Aちゃんが担任の先生のところにやって来て、「わたし、駅の方に調べに行ってきたものを書いてきたよ」と持ってきてくれました。それを聞いた先生は“しっかり私の言ったことを実行してくれたんだ~”“興味をしめしているんだ”と、とても嬉しくなりました。そこで先生は、「じゃあ、これ、明日、みんなの前で発表しようよ」とAちゃんに提案すると、“っ、みんなの前で話をするの?”と躊躇しているようすが伺えました。
「せっかく調べてきたんだから、みんなに聞かせてあげてよ」と促す担任。少し困惑気味なAちゃん。そして、最後に「じゃ~先生といっしょにやろう」と導くと、Aちゃんは「恥ずかしいけど、がんばる!」と応えてくれました。そして、次の日、木曜日を迎えました。
登園時からドキドキしながら“お集りの時間”を待つAちゃん。
「じゃ~、この前のこと、Aちゃんに発表してもらいま~す」と先生の声が響きます。
Aちゃんは、前に出てきて、メモを取り出して、読みはじめました。「…銀行がありました」「…眼鏡屋さんがありました」「…公園がありました」。いずれも宮崎台駅周辺です。Aちゃんは端的に箇条書きまとめていたので、彼女の発言は、聞いている側もわかりやすかったのです。
Aちゃんの「発表」が終わると、子どもたちからは「すごーい!」の声があがりました。
Aちゃんが調べた行先に対する関心よりも「その、書いてある紙、見たい!」という発表の仕方に対する称賛の方が強かったです。先生は、すぐさま「Aちゃん、おうちに帰ってからも駅まで調べに行って、忘れないようにメモしていたんだよ」と後押しするように話をすると、自然な流れでクラスのみんなは、Aちゃんに拍手を送りました。Aちゃんの体からさ~と緊張感が抜けて、表情は、達成感と満足感でいっぱいになりました。
その日、翌日に消防署に行くこと伝え、合わせて、「消防士さんへの質問を考えてね」と話をすると、当日、B君とC君がAちゃんと同じように「質問」を紙に書いて持ってきました。
彼らは、自分たちも「消防署に行く前に、考えて書いてきたことをみんなの前で発表したい」と訴えて、発表しました。出発前、既に子どもたちの心に炎が灯っていたのでした。
※「消防車の速さ」「日頃の訓練内容」「燃え盛る火の中に入っていくテクニック」「消防車と救急車の運転手は同じ人」など、質問内容と回答は、園だより5月号に記載されています。
消防署から帰ってくるとしばらく“感動話”でもちきりになります、そしてお昼が過ぎた頃、今度は、D君が「いま、消防士さんにお手紙書いたんだ、これもみんなに発表していい?」と手紙を持ってきてくれたので、夕方、全員の前で発表しました。「ありがとう」や「また行きたい」という感謝の言葉、そして「訓練の様子をみたい」というさらなる希望。さらに、ちがう話題でも「手紙を書きたい」「書いたことを発表したい」…と、まさに火がついた感じです。
週が明けた月曜日、クラスの絵本が破れていたのを見つけたE君は、絵本を直していました。「このことをみんなに言いたい」と訴えてきて、実際、お昼寝前にみんなに“自分のしたこと”と“注意喚起”を含めて話をしてくれました…。
Aちゃんから始まった“みんなの前で発表する”こと。それが、クール!(かっこいい)。
発表する姿が“みんなの憧れ(新たな価値観)”になってきました。それまで「恥ずかしい」の気持ちが強くて、苦手意識をもつことが多かったクラスです。しかし、いま、クラス全体に自信を持って友達に自分の気持ちや考えていることを発信(発言)する雰囲気が広がっています。
“きっと小学校にもつながっていく”と、担任の先生は手ごたえを感じていました。
「地域社会や職業への関心」と「実際に訪問する取り組み」によって、子ども集団が変わっていった今回の実践。社会に興味・関心を抱くことは「社会性」を育むと言われますが、さらに興味深いのは、「社会への関心」が「自分の思いや考えをみんなの前で発言する社会性」を育んだことで、今後の教育・保育の在り方を考えさせられました。 【資料提供:川崎かおり】
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≪ユナタン:16≫ at 世田谷はっと保育園
~ 「やりきるクッキング」=(C.P)の“下ごしらえ”は見ることから ~
平成28年5月18日 片山喜章(理事長)
4月25日、27日、つばさ組の“やりきりクッキング”がありました。
1グループ5人、5グループが2日に分かれて、1階の「みんなのへや」で行いました。講師はエトー先生です(衛藤副園長)。エトー先生は、たいそうお料理上手で調理師の資格を持っています。家庭でもその腕前を発揮して数々の創作料理をなさっています(うらやましい限りです)。
「5人1組の子どもたち」が「カレー作り」に出会うことから始まって、それが、どのように発展するか(させるか)、担任とエトー先生は、イメージづくりのための話し合いを重ねていました。この園に限らず、「幼児教育の世界」において、かなりミディアムレアーな取り組みであるだけに、子どもたちの興味、関心をしっかり洞察しながら、保育者側はアイデアを搾り出して、子どもに投げかけます。ですから「プランは、変容する」、そんなふうに確認し合いました。
このケース、大きく2つの考え方と方法があります。1つは、グループの子どもに任せて、ぐちゃぐちゃになりながら話し合い、なんとか、作りきる。すると食した時に「味」や「ダンドリ」について話し合いが及んで、自己評価もできます。その際、「準備の仕方」や「手順」など、話し合いのポイントを絞ると「次回の方法」について子どもたちのイメージは広がると思います。
もう1つは、まず、モデルを見て、ある程度やり方を会得し、そこに“やりたい”という意欲を煮込んだうえで実際にやりきって対話する。今回の方法です。さて、さて…‥‥。
まず、はじめに「カレーライスって、カレーだけつくるの?」の問いかけに「ご飯がいる!」の声。早速、彼らは意気揚々とお米をといで炊飯器に水をいれて、いざ、スイッチオン!・・? 「ランプがつかない!?」 予想通りの姿に先生たちはニンマリ。困っている子どもたちの姿をよそに先生たちは電気コードを手にしながら雑談。すると、ある子がプラグをコンセントに差し込むことに気づきます。(たいていの家庭ではプラグはコンセントに入ったままなのでしょう)
“大発見”をして炊飯器のスイッチをオンした子どもたちは、いざ、カレーづくりに向かって、やる気もオン。「お家で包丁買ってもらったんだー」「お家で切る練習もしてきたよ」とドキドキわくわくの子どもたちを前に、エトー先生は、突然、得意気にお料理教室を始めたのでした。
「ニンジンはイチョウ切りにして」といって、ホワイトボードに貼った写真を示しながら自身の腕前を披露。子どもたちは、ホ~と感心して、チャレンジ準備! とすかさず「ジャガイモは一口大に切って」「玉ねぎは薄切りか、一口大か、どっちが速く煮える」(薄切りの声)、
エトー先生は、まるでお料理番組の講師気分で、次々に切り方のお手本を実演します。
気がつけば、何もかもすっかり完了して、いざ点火。「あれ~?」子どもたちはひたすら見る、見る、ただ見るだけ、でした。そういえば、昨年、運動会のパラバルーンでも見て、見て“やりたい!”の思いを膨らまして見て、一気に会得した例がありました。今回、最初から最後まで、カレーが煮えるまで見て、見終えた子どもたちにエトー先生は、言いました。「先生が行なった工程を、次は、みんながやるんだよ」とお話して、お食事会(給食)です。
食後の「対話」の仕方について、担任の先生とエトー先生は悩みました。子どもの“やりたい気持ち”をあえて“させなかった”ことは、今後の取り組みにおいて“功を奏する”と予想できますが、この日、事後の「対話」を有効にするための、子どもへの投げかけ方が ? でした。
自分たちが実践した事なら、「対話」は弾み、会話の量に比例して、話の質は深まるものですが、ただ見ていただけの子どもたちに、一体、どんな話し合いをしてもらうのか、不透明でした。
さすがです。“司会と書記は先に決めてください”と伝えると、「誰が書く?」と書記決めをし、司会を決め、そのままの勢いで「誰がお米とぐの?」「私がやるよ」「誰か、ジャガイモ、やりたい人は?」「はーい」と2人が挙手すると、すかさず「じゃあ、2人で話し合って」と司会の腕前も冴えていました。しかし、会話は盛り上がりますが、話の焦点が定まらず、隣のグループが気になって「もうあっちは、にんじん切る人決まったよ」「向こうは横向きで書いてるよ(書記)」と不安になる子がいたりして……。「そうか! 実践してない一連の活動に対して、話し合いを求めるのはムリだった」と担任の先生とエトー先生は子どもから学んだ、とのことです。
概して、何でもかんでも、やりたい事がすぐできる環境では、逆に、やりたい事に挑むエネルギーが溜まらないように思います。「意欲」を促すには、適度な制約や制限があることで、かえって「意欲」は圧縮され、やりたい内容も方向もより鮮明になる場合があります。
今回の「C.P」を、次回以降、より創造的に有意義に発展させるために、あえて制約を設ける方がうまく行くと信じて行いました。「C.P」と命名していますがただの「カレーパーティ(C.P)」で終わるのか、「カレー作りプログラム(C.P)」になるのか、はたまた、カレー作りから、植栽に関心を持って食材づくりに広がったり、それを使って自給型のカレーづくりになったり、買い物に行って原価計算をしてレストランを始めたり、そんな「カレープロジェクト(C.P)」に発展していくのか、いまは、わかりません。9月まで、あと4回、C.Pは続きます。
10月頃、子どもたちはどんな経験をし、どんなチカラを体得しるのか、担任の先生やエトー先生はどんなふうに創意を発揮し、どんな「C.P」に仕上げるのか、私は、ただただ、見てるだけ、ドキドキわくわくしながら見ることにしましょう。(子どもに言わせたのかどうか定かではないですが「C.P」の時、子どもたちはエトー先生をミッキーと呼ぶのです) 【資料提供:長嶋 萌】