週刊メッセージ“ユナタン”18―②
≪ユナタン:18≫ at もみの木台
~ “不可解な思い”から保育はひろがる ~
平成28年6月22日 片山喜章(理事長)
3歳児つき組の子どもたちと担任のY先生が砂場で遊んでいたときのことです。Aちゃんが、園庭側の道をあるく女の人とフェンス越しに何やら話をしています。
その人は、子どもたちが無邪気に遊んでいる姿を微笑ましく眺めていたところ、Aちゃんと目が合って、Aちゃんの方から「こんにちは。お名前は何?」と声をかけました。すると、「こ・ん・に・ち・は」と返ってきました。ところが、Aちゃんは、その人とバイバイした後、担任のところにやってきて、「お話ししてくれなかった」と寂しそうに訴えました。
担任は、「フェンスの向こう側だし、Aちゃんの言ったこと、ちゃんと聞こえてなかったんじゃない」と言うと、「ちゃんと、お話した!」と怒りをぶつけるほど、Aちゃんは反論しました。
実は、この方、中国の方で、いつも「こんにちは」と「バイバイ」だけ声をかけてくれます。
Aちゃんの「お名前は?」の“質問”は、“いつもの会話”とは違っていたため、少々、困惑されたのか、笑顔だけのお返事になったのだと思われます。Aちゃんは“どうして話してくれなかったのだろう?”と不可解さを感じながらも、それまで遊んでいた玩具が目に入ると「まっ、いいか」と気持ちを切り換えたのか、再び、それまでの遊びに夢中になりました。
そこに関わっていた担任は、Aちゃんにとって通り過ぎた“出来事”でも、自分的には「まっ、いいか」では、すまされない、そんな“もやもや”を感じながら、その日はそれで終わりました。
別の日、お散歩中、Y先生は、5歳児の子どもたちと歩いていて、ふと、“あの日のこと”を思い出しました。この5歳児の三人に“Aちゃんの出来事”をそのままの内容で話してみました。
“5歳児だったら、果たして、どのように考えるだろう”“どんな返事が返ってくるだろう”、と興味がわいてきたからです。三人は「なんでだと思う?」のY先生の問いに、まず一人が「耳がきこえなかったんじゃないの?」と切り出し、それから「Aちゃんの方から先に名前を言わなかったから、機嫌が悪くなったのかなあ?」。そして「見た目はどんな人だった?」「手の色はみんなみたいだった?」と、推理はどんどん“確信”に迫ります。さすがに5歳児です。そして、最後に、一人の子どもが、「じゃぁ、次、話をしても伝わらなかったら“こっち、来たら!”ってやったら?」と大げさに手招きするジェスチャー(身振り)をしてみせました…。
…ということは、もしかして、三人は、“この人のこと、言葉(日本語)が伝わらない外国の人だってわかって話をしている!?”。そこには既に“暗黙の認識”があるように感じました。
ならば、「子どもたちの、この“気づき”を、すぐにでも保育に活かさないとモッタイナイ!」と閃いたY先生。その瞬間、Y先生の“もやもや”は、スッと晴れたのでした。
その日の夜、たまたまバレーボールの試合がテレビ放映されました。「日本vs中国」の一戦です。そして、(ナント)、その試合を観戦していた子どもがいたのです。
翌日、「ジェスチャーで伝えたら?」と言っていた子どもから「この前の人、みんなと同じような人だった?」と質問を投げてきました。Y先生は “この子、もうわかっている!”と理解したうえで、あえて「なんで?」と聞いてみると「中国の人って、私たちと同じかんじだったよ!肌の色も一緒だし、髪の毛も黒いんだよ!」と興奮気味に話してくれました。そこで、Y先生は「じゃぁ、この前の人は、中国の人だったのかな? みんなと同じようだったけど。でも、日本語、分かってたらお話ししてくれるよね?」と返すと、ある子が「中国は日本語でお話しないんだよ!何語なのか探そう!」と言って、絵本コーナーにある「国旗の絵本」を熱心に見始めました。
あいにく、その絵本には“中国で話されている言語”については書かれておらず、「分かんないね…」と嘆いていましたが、なんとか、どこかに書いていないかと、懸命に他の絵本を読み、中国の事が載っている本を探し出し、遂に!“中国語で話す”ということを見つけ出したのです。その場にいた子どもたちは「“中国”って、どんな国なの?」と興味、関心を抱き、国旗の絵を描いたり、カタカナで書かれている“中国語の挨拶”を言ったり、それは、もう、大盛りあがりでした。
5歳児にもなると、自分たちが感じた疑問は自分たちで調べて、答えを出そうとします。まさにアクティブラーニングです。私たちは、それに応え、広げる保育を大事にしたいと思います。
幼児クラスのコーナーには、地球儀や各国の国旗があります。「中国」に対して興味を持った今、そこから、「世界」に対する興味や関心に広がるように、「環境」を充実させて「多様性」や「異文化」に慣れ親しみ、それを受け入れる受容力を育んでいく。それが、これからの教育・保育に不可欠である、とまずは、保育者自身が、しっかり意識し、認識し、実践していこうと考えています。
現実問題として、いま、世界情勢は、ほぼ全地域で混迷と混乱のさなかにあると言えます。
世界は、相互に複雑に絡み合って成り立っているので、混乱が連鎖します。自国の「国益」だけを志向する国家や政治家を“不可解”に感じます。“絡み合い”の中に居るからこそ「お互いを知る」、世界は、お互いに知り合うことから国家の枠組を超えた地球規模の平和が保たれる、そんなふうに考えると、上記のように、幼少期から、いろんな国々のいろんな事を調べたり、話したりしながら、知っていく。その姿勢や態度を養うことは、日本の教育の大きな課題であると思います
Aちゃんの「話してくれなかった…」という“不可解”な思いから始まった「物語」ですが、事の始めは、フェンス越しに道行く人に「挨拶」をしたAちゃんの行為です。山道で人に出会えば、見知らぬ人どうしでも挨拶します。挨拶する事にもまして“挨拶しようとする気持ち”、その気持ちこそ国や地域を越えて、とても、すばらしい人間の心だと思います。 【話題提供:佐藤廉菜】
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≪ユナタン:18≫ at みやざき
~ 涙・スプーンミルク・睡眠 ~
平成28年6月20日 片山喜章(理事長)
「たいへん、たいへん、速くお出かけしないと仕事におくれちゃう」と、朝、お出かけ前、ママがイライラした気持ちのままでいると、なぜか、わが子にもイライラが“感染”して、ぐずってしまうことがあります。特に乳児の場合、落ち着いてお家を出たとしても、園に到着して『シート』に記入して、それから着替えを「ロッカー」に入れて、さらに、あれこれ支度をしながら、お母さんの気持ちが「出勤モード」に切り替わったとたん、泣き出す子どもをよく見ます。
乳児なりの“危険予知力?”でしょうか。年齢が低いほど、親御さん、あるいは担任の先生たちの「心の状態」を言語や表情や仕草以外の「何か」によって察知します。ほんとうに不思議です。
言い換えると、私たち、子どもにかかわる大人が「心の状態」を整える事が、ある意味で、乳幼児教育の“基本のキ”であると言っても決して間違いではない、と思います。
0歳児さくらんぼ組のA君も代表的なそのひとりでした。機嫌よく登園しても、お母さんの仕草から「バイバイ」するのが確実だと感じ取ったとき、大泣きしはじめて、お母さんにくっつきまわります。そんな日々が続きました。お母さんも、うしろ髪を引かれる思いです。けれども、もしかしてその一方で、母親として慕われている実感が湧き出て、大泣きするわが子に対して、一層の愛おしさや母親としての“使命感”のようなものを味わい、“よし、仕事もがんばるぞ”とポジティブになる瞬間かもしれません。朝の辛い別れには、そんな大切な意味があるような気もします。
A君は、ある時期、体調を崩して休園しました。その後、回復し、元気に登園してきましたが、哺乳瓶でミルクが飲めない状態に戻っていました。園では、担任が、離乳食ととともに“回復への願い”を混ぜ込んで、“スプーンで200ccのミルク”を飲ませる日々がしばらく続きました。
今、現在、といえば、園生活に慣れ親しみ、よく食べ、よく遊び、ベッドでよく眠るようになりました。そして、朝、登園し、あれこれ支度をする際、大泣きすることもなく玩具に夢中!です。 お母さんが、「行ってきます」と手を振っても、キョトンとした顔。こうなると逆転します。
お母さんは、あれだけしがみついていたのに、と、寂しさに前髪を引かれながら、戸口で大きく手を振ってみたり、涙をぬぐう真似をしたり、何度もなんども「行ってきま~す」をします。
「揺れる親心」と「子どもの成長」、こんなすばらしい日常にふれていると“良い仕事しているなあ~”と思わず悦にひたる担任でした。もちろん、A君自身の育つ力とご家庭の愛情があってのことですが、“スプーンミルク”が心の栄養素になった気もします。 【話題提供:田村恭子】
『1歳児いちご組のB君のお話しです』
朝、登園する時は大泣きします。やっと泣き止んでも、側にいた保育士が立ちあがるだけでまた泣きだします。その後、保育室の扉が開く度に「ママが来た」と思って泣き出すこともありました。
夕方も次々にお母さんたちがお迎えに来られるたびに、「ママが来た!?」(違った↓)と泣き崩れることが続きました。けれども、日中は、“ままごと”で遊んだり“がちゃがちゃ”を試したり、お部屋を探索したり、B君なりに、自分の世界を園内で広げているようにも伺えました。
私は、子どもが泣く意味について、あれこれ考えることがあります。めそめそとよく泣く子は弱い子でしょうか? いつもダダをこねる姿とは違います。自分の気持ちを外に出したい欲求の強い子でしょうか? 何とも言えません。感受性が比較的、強い子と言って良いのかも…。こんなふうに「親や保育者が、冷静になって、子どもが“泣く事”について、少し哲学的に考える行為だけで、“子どもとの信頼関係が強まる”のではないか」と新作の“仮説”を私は作り出しました。
そんなある日、担任は、いつものように“抱っこ”のまま泣きながら入眠するB君を、そ~と、ベッドに置いてとんとんしてみました。担任は、きっと、自分の腕の中でしあわせそうに眠るB君の顔を見て、抱っこ以上に「眠りの魅力」が勝るかもしれない、そう感じたとのことでした。
ベッドに横たわると、さっと目を覚ますB君に担任は彼の顔を見て、とんとんを続けると安心したのか、再入眠しました。そして、ときどき、途中で目を覚まして、周りを見渡して、また自分でコロッと眠ります。それからのB君は、よく、このような姿をくりかえし見せてくれます。
その頃から、B君は、園生活に慣れだして、とんとんしなくても入眠し、起きたら、どんどん自分で動いて遊ぶようになりました。入眠すると大人も子どもも“眠りの世界”にお出かけします。夢も見ていることでしょう。私の場合、夢を見ない日はありません。前夜の夢の内容は忘れても、3年前、10年前、子どもの頃の“秀作”はいまも時を越えて自分のなかで生き続けています。
B君は、午睡中、目が覚めて、夢から覚めても、周囲を見渡して、「ああ、自分は、保育園にいるんだ~」と「安心」してまた眠りにつき、また目覚めては、担任の顔を見て、一層「安心」してまたまた眠るようになりました。この姿に、担任はスコブル感激します。『あれだけ、泣き続けたB君が、園生活と自分たちに慣れ親しんだ証し!』 寝て、目覚めて、周囲を見て、安心してまた眠る。担任は『この仕事にやりがいを感じる最高の瞬間である』と力強く言い切ります。
もしかして、担任は、B君の泣き続ける姿から、その意味を哲学し、私の仮説どおり、信頼関係が強まり、さらに午睡中のB君の心の中で眠る“これまで抱っこされ、可愛がられた体験”が、睡眠を栄養源に、「安心感」を創造したのかもしれません……。 【話題提供;朝倉香也代】
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≪ユナタン:18≫ at 世田谷はっと
~ 創造と崩壊 ~
平成28年6月18日 片山喜章(理事長)
“カプラ”をご存知ですか。縦横11.8cm×2.4cm、厚さ8mmの積み木のような板です。
これまで主に5歳児つばさ組の子どもたちが、高く多彩に積み上げて「作品」を造っていましたが、5月頃から、4歳児そら組の子どもたちの間で流行りだしました。そのきっかけになったのは、もちろん、つばさ組の「作品」に刺激されたこともありますが、“カプラコーナー”に「作品見本」として掲示されている「数枚の写真」です。どれもこれも、なかなかの「作品」です。
それを見た人たちは活動意欲をそそられる、そんな写真です。レストランのHPでメニュー写真を見ると、行って、食べてみたくなる、あの“しつらえ”と似ています。
さっそく「こんなの作りたいな」「こっちの方がいいぞ」「いやいやいや~、これだよ」と活動意欲がどんどん積みあがります。激論の末? 子どもたちが選んだのは、“お家”でした。
お家づくりをはじめたのは、女の子たちでした。造りながらイメージをわかちあい、それを形にするには手先の器用さが求められます。そして集中力、持続力が必要です。ある程度、積み上げて、“お家”らしくなると、女の子たちは中断して、それぞれ違うコーナーに行ってしまいました。
しばらくしてやってきたのは、やはり、そら組の男の子たちでした。要領を会得してタンタンと積み上げる子もいれば、見よう見まねではじめた子もいます。そして迷い、戸惑いながら積み方を試している子など、1つの「お家づくり」のなかに多様な“腕前”と「気持ち」が同居しています。
ここに子ども本来の「学び合う姿」「大事にしたい教育の形」を認めることができます。
「あれっ、その積み方、ちょっと、ちがうな~。どうしよう? まあ、いいか~?」と横やりを入れるべきか、否かで躊躇していた担任の横に“カプラマスター”を自負する男の子たちがやってきました。彼らは「そうじゃないんだよなっ」と言って、何の躊躇もなく手直しをはじめました。
“さすが、カプラマスター♡”と担任はうっとりしていまいました。彼らは、せっかく積み上げた“お家”のかなりの部分を崩壊させて、その日から「創造の道」を歩み始めたのでした。
その“お家”が1mくらい積みあがった日のこと。
『……ガッシャ―ン🎶!!』 ホール全体に“お家”が大崩壊する音が鳴り響きました。お家づくりに参加していない女の子が、たまたま通りがかった時に接触してしまったアクシデントです。
…! 即座に“カプラマスター”が駆けつけます。その後ろには、他のコーナーで遊んでいた子どもたちが、見物客になって、ひとり、ふたり、さんにん、と、どんどん群がってきました。
さあ、これからどんなドラマが展開するのか見物客は興味津々。もちろん担任の先生もいろんなケースを想定して、気合いを入れて、きらきら、どきどき、そして密かに、うきうきしていました。
案の定「怒り」「悔しさ」「悲しさ」が嵐のように、その女の子に浴びせられました。担任は、その子が泣き崩れる姿を瞬時に予測しました。が、しかし、女の子は「ごめんね!」と語気を強めて返します。何度もなんども謝りましたが、“カプラマスター”たちはなかなか許そうとしません。
すると、女の子は半ば、逆ギレ状態になって、そこで見構えていた担任に「何回もなんかいも、ごめんねって言ってるのに許してくれない!」とプンスカ、プンスカ、怒り気味で訴えました。
すかさず担任は「なんで許してくれないんだろうね?! ○○ちゃんも“お家”を作ってみたら、どうしてなのか、きっと、わかるかもしれないね」と答えました。(goodな対応です)
その後、再び、“カプラマスター”たちが積み上げ直す日々が続きました。跡形もなく破壊されたけれども、ある程度、積み上げていたので、作り手には、そのイメージが残っています。なので短い工期(?)のなかで、あっという間に高さが1.5mほどになりました。
そんなある日、日頃、3人でいることの多い男の子トリオがやってきました。カプラコーナーに“カプラマスター”は居ません。
3人は続きを試みました。椅子を用いて高く積み上げていると、『……ガッシャ―ン🎶!!』という乾いた大きな音に拍子木のカン高い響きが広がります。
と同時にまた見物客。まったくカプラにかかわっていなかった3歳児おはな組の子どもたちも寄ってきて、見物者は、前回の倍くらいの人数になりました。もはや野次馬といった感じです。
もちろんカプラマスターも血相を変えてやってきました。おはな組の子どもたちも、崩壊させた3人に対して、恐る恐る正義感のある“叱責”をぶつけます。3人は凹んでしまいましたが、今回、“カプラマスター”はあまり彼ら3人を責めませんでした。これって、一体、何でしょう?
私なりの想像の域をでませんが、彼らなりに「創造」と「崩壊」、つまり諸行無常の理(ことわり)を薄っすらと感得したのではないか、と感じます。微妙なバランスで出来上がっている物は、いつか壊れる。それも1度ならず2度も体験したのですから“仕方ない”と悟ったのだと思います。
一方で“お家”は崩壊しても、彼らの頭には“制作方法”、体には“腕前”が崩れることなく、蓄積されています。それが3人に対する“寛容さ”をもたらせたような気もします。
いま、世界中の数多くの“国家”がかつてない規模で崩れるリスクを背負っています。ワールドニュースを見るとわかりますが、どの国もぎくしゃく、ガタガタしています。格差、汚職、抑圧。欧米EU各国、南米の国々、アセアン諸国、日本も、格差と安保と大借金で揺れています。
これまで創造してきた「権力構造」「経済システム」「国家という体」「人間の思考体系」が、崩壊に向かっていると感じます。「地球環境」も既知の数値以上に厳しいように思われます。
子どもたちには、崩壊を食い止める新たな創造の担い手になってほしいと心底、願っています。
男の子3人は“カプラマスター”の寛容さによって、すぐにケロッとしました。その姿に触れて私は、深い次元で安堵しました。これって一体、何でしょう? 【資料提供:鈴木郁美】