種の会からのお知らせ

週刊メッセージ“ユナタン”14ー①

ユナタン:14≫ at はっとこども園                         

~ だいじょうぶ ~

                     平成28年4月18日  片山喜章(理事長)

“大丈夫だよ”

4月早々、“ママ恋し”と新入園児の多くが大合唱します。古今東西、この時期、すべての子どもが通る“試練”です。私たちはできるだけ落ち着ける環境づくりに努めます。

新入園の3歳児のAちゃんは、毎朝、お母さんとバイバイする時、「ママがいいの~。お家に帰る~」と力いっぱい泣いてアピールします。先生たちは「大丈夫、大丈夫」と懸命に慰めます。

ある日、そんなAちゃんの姿を少し離れたところからみていたBちゃんは、そっと側に来て「大丈夫だよ。大丈夫だよ」と優しく言って頭を何度も撫でました。「夕方、ママはゼッタイ来るからね」とAちゃんの顔を覗き込むように続けて言いました。さらに、もう1回、「大丈夫だよ」と言ってAちゃんの頭を撫でました。Aちゃんの“まなざし”にやわらかさがにじんできて、先生たちは、その日、Aちゃんは、確実にいつもより早く泣き止んだ、と感じました。

保育者が声掛けする「大丈夫」よりも、Bちゃんの「大丈夫だよ」の方が、Aちゃんの心に響くのだな~と先生たちは感じたようです。〔子どもは、子どもからより多くを学ぶ〕と日頃、お伝えしていますが「ケアーする事も、子どもどうしの方が“効果”が高い場合がある」と感じた場面でした。それはたぶん、Bちゃん自身が“ママ恋し”と寂しくて泣きじゃくり、“試練”を乗り越えた“経験”があったので、Aちゃんの心に届いたのだと思われます。私たちは、Bちゃんが、Aちゃんの気持ちを“思いやる感性”を持っていたことと、それ以上に、思いやったことを「大丈夫だよ」と行動に現わした“やさしさ”に称賛を贈りたいと思います。

その背景には、家庭でしっかり受容されていることや、園生活のなかで自分が(先生たちに)受容されている実態があると推測できます。“思いやり”や“やさしさ”は“伝播”(好転連鎖)することを教えられた1つのエピソードでした。

 

“大丈夫です”

「フリーデイ(お昼までコーナー・ゾーンで自分のしたい活動を選んで遊ぶ)」のことです。

“ごっこ遊びコーナー”から「ヤマオカさ~ん」と呼び出しの声がします ? しばらくして「予約、入ってますよ~」と同じ子の声がします。前日から「病院ごっこ」が展開されていたコーナーで遊ぶ子どもたちの声でした。(保育者の)山岡さんは『予約入れてないんですけど・・・』と答えると「いえいえ、予約は、入ってますよ。来て下さいね」ときりっと返事がきました。

(「ヤマオカさ~ん」って、まさにホンモノの病院だ。子どもといっしょに楽しまないと)と、思って“子ども心”を服用した山岡さんは、「病院」へ行ってみることにしました。

Dちゃん先生が聴診器をお腹にあてて、「う~ん、お腹に虫がいるようです。手術した方がいいですね。明日、手術しますから、必ず来て下さい。今日はお薬を出しておきます」と“診察”し、レジのある「受付」に案内されました。Eちゃんが受付にいて、前回のレストランごっこで使った「お金」を払うと、「薬」を渡され、「これは晩ご飯の後に飲んで下さいね。入れ物は返して下さいね」「では、お大事に、大丈夫ですよ」 “ごっこ遊び”は一気に盛り上がります。

子どもたちは「次の日になりました」と自分でナレーションしながら、場面展開を行いました。(う~ん、まるで発表会の場面展開!)。ヤマオカさんが病院に行くと「今日は手術でしたね。荷物はそこに(長椅子)に置いて、こちらに来て寝て下さい」とDちゃん先生に案内され,ベッド(以前、違う“ごっこ遊び”で使用していたもの)に寝かされました。

「では、始めます」と言って、ヤマオカさんのお腹を切るDちゃん先生、「酸素マスクしますよ」と看護師役のE君が“患者さん”の口と鼻を“酸素マスク(ヨーグルトカップ)”で覆いました。Dちゃん先生は「麻酔します。喋らないで下さいね」と患者さんに指示しました。

ヤマオカさんは不安になって、おどおどしていると「大丈夫、大丈夫、頑張って」とD医師から励ましの声をかけられました。「手術、終わりました。大丈夫です。成功しました。」とD医師。

わずか3分で終了した大手術。その後、D医師は「歩いて帰って下さい」と指示しました。

「えー!いま、手術したばっかりやのに、もう歩いて帰るのですか?」とヤマオカさんが不安げに訴えると「大丈夫です。次に手術する人がいるから、早く帰って下さい。」ときっぱり明言しました。名医なのか?ヤブなのか? 「受付」で「お金」を払い、薬の説明を受けて、帰ろうとすると「明日は消毒しますからね」とD医師から念押しされました。

翌日、Dちゃんのママにお話すると、「テレビ」で見た場面の再現のようで、筋書も似ていたとのこと。その「番組」は、お笑い系なのか、シリアスなものなのか、定かではありませんが、あらためて、「テレビの力」の大きさを思い知らせました。言い方を変えると、子どもは視覚や聴覚から入ってきたもの、それが興味あるものなら、いち早く記憶し、真似てみようとするんだな、と思いました。それと共に身近にいる我々大人たちのこともきっとよく観察をしていて、それは伝播し、子どもは真似して、いつかその子らしさを形成しているのだな、と思いました。

「良いお手本にならなきゃ!」、ヤマオカさんは、子どもから訓示を処方されたようでした。

こんなふうにテレビがきっかけで発生した“病院ごっこ”。「コーナー・ゾーン」という一見、ただ遊んでいるだけの風景ですが、このような“おもしろい生活スタイル”に浸っていると、おのずと、自発性や判断力ははぐくまれると実感します。今後、ヤマオカさんではなくて、健康な子どもたちが“病院”に集って、ごっこ遊びを盛り上げてほしいものです。(資料提供;溝上)

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ユナタン:14≫ at なかはらこども園  

 ~ 子どもの力を引き出す仕掛けづくり ~

                    平成28年4月20日  片山喜章(理事長)

毎年、この時期になると園のあちらこちらで“元気な泣き声”が響き渡ります。私たち保育者は、この声に包まれると“新しい年のスタート”を実感しすがすがしい気分に浸ります。しかし泣いている子どもたちは、それぞれ、その子なりに“適応”するのにいっしょうけんめいです。

新入園児にとって、最も成長するのが、この時期なのかも知れません。私たちもしっかり寄り添っていこう!と構えています。そんな折、下記のような「エピソード」がありました。

<昼食前にサンドウィッチ?>

2月半ばより「移行期」(年度内に次のクラスの保育室で生活し、スムースに新年度を迎える)がはじまりました。2歳児あひる組の子どもにとって、階段を登って2階にあがるのですから、全く違う環境で生活することになります。ある子にとっては“わくわく”の冒険であり、ある子にとっては不安いっぱいの“ドキドキ”です。そんななか、去年2歳児あひる組で入園し、今年3歳児ばんび組になったAちゃんの姿です。入園当初はお母さんから離れることがとても不安で、毎日自分のリュックサックを背負って玄関のところで泣いていました。私たちはその姿が頭に残っていたので、2階にあがることは、Aちゃんにとって、どうだろうと案じていたとき…。

 

幼児クラスならではの事が起きました。給食が始まる前の事です。新ばんび組の子は、自分のトレーを持って列を作って並んで、お当番の友達に「自分の欲しい量」を自分の言葉で伝えて、よそってもらうスタイルにまだまだ慣れていません。そのなかで、Aちゃんは、といえば…。

確かに、はじめは不安げでしたが、それを感じた5歳児ぞう組のお姉さんたちがAちゃんをサンドウィッチのように前後で挟むと、それで安心したのか、笑顔になって並んでいたのです。

「どれぐらい食べる?」というお当番の質問にも「すこし!」と元気に答えていました。他の、ぞう組の子も、Aちゃんが自分の席につくまで横でそっと見守り、トレーがこぼれそうになったら自然に手を差し伸べていました。今では、自信を持って過ごす姿が見られます。

 

Aちゃんだけでなく、新3歳児ばんび組の子どもたちが不安でいることを、子どもだけが持っている“アンテナ”で察知し合っている気がします。なので、お姉さんたちは、すばやくAちゃんを挟み込んで庇護したのでしょう。そんな振る舞いを“やさしさ”とか“思いやり”という以上に、双方の子どもにとって心地よい、子どもらしい“普通の振る舞い”と捉える方が適切だと思います。そんな“普通の振る舞い”を引き出したのは、“異年齢集団”で、しかも、“セミバイキング方式の食事場面”を設定して保育する職員集団の創意と英知だと言えるでしょう。

<異年齢で生まれるエネルギー>

別の日、こんなこともありました。やはり3歳児ばんび組です。4月1日に入園したばかりのBちゃんです。初日より、お母さんが恋しくてシクシクと泣いていました。数日が経ち、少しずつ担任には心を許す姿はあるものの、悲しくて泣いてしまうことが多々ありました。

 

そんな中、4月に入って2回目の「フリーデー」(2階の保育室すべてを自在に遊べる環境に変えて、お昼まで自分で遊びと選び、遊ぶ相手も選ぶという保育)の時、Bちゃんは、何かを感じ取ったのでしょう、思い切って自分から「遊戯室」に足を運びました。遊戯室には20名ほどの子どもたちがいましたが、その日は5歳児がほとんどで、3歳児は、Bちゃんと他1名計2名でした。椅子を使った“簡単なゲーム”です。保育者が始める前に“ルール”の確認をした後は、5歳児の子どもたちが中心になってゲームを進行していきました。

 

最初、何もわからなくて、そこに居るだけのBちゃんに、5歳児の女の子が何やら親切に声をかけます。おそらくBちゃんは、ゲームのルールがよくわからなくても、声をかけられた嬉しさと、お兄さん、お姉さんが楽しんでいる雰囲気に導かれたのか、集中力を発揮して、ルール理解(感得)に努めているようでした。Bちゃんが少し戸惑っていると、別の男の子がやってきて、さりげなく“助言”します。そのうち彼女はしっかりルールを理解し、およそ1時間、いきいきと主役気分で楽しい時間を過ごしました。「ルールの理解」など何かを会得する際、先生に教わるより、子どもどうしで影響し合う方が何倍も“理解が速い”ことを私たちは実感しています。

 

そこには(心を許した)担任の姿はありませんでした。Bちゃんは、“子どもの世界”で遊ぶ楽しさを感じ取ったように思います。これもまた、子ども本来の“普通の姿”であると理解したほうが良いと思います。その日のお昼、毎日、残しがちだった給食も、一人で完食し、片付けをする姿は、自信に満ち溢れ堂々としていたように感じたと報告がありました。(あまりに「ベタ」なこの報告内容は、偶然なのか、必然なのか、興味深いところですが・・・)

 

なかはらこども園では、「異年齢保育」と「クラス活動」の両輪を動かしながら、より有意義な実践に努めています。「異年齢保育」において年齢差から生じるエネルギーには、上記2つを含む多くのエピソードから推測すると、“子どもが子どもに安心感をあたえる”、“子どもどうしで学習意欲を刺激し合う”、そんなはたらきがありそうです。現場では、保育者集団がアンテナを張り巡らして、子どもの興味・関心を感知し、“おもしろい仕掛け”を創りだすことに、日々、チャレンジしています。「異年齢活動」「フリーデー」の中で子どもの姿をしっかり観察すると、貴重な発見ができるのも事実です。そして、新任、中堅、ベテランの職員の異年齢集団が互いに影響をあたえ合うことも、より良い園運営の条件だと思います。 (資料提供:佐々井、小松)

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ユナタン:14≫ at ななこども園    

~ “蒸しケーキ”の食感と栄養素 ~

                     平成28年4月22日:片山喜章(理事長)

 新年度が始まり、1つ上のクラスの名前で呼ばれることに進級のうれしさを感じるとともに、心のどこかで“がんばらなきゃ”と勇んでいる姿を目にします。特に5歳児、ばら組は「和太鼓するんだよね」「ちびっこ先生はいつから?」と、前年度のばら組の姿を思い起こし、自分たちも「早く、やりたいな」「でも、できるかな」「きっと、できるはずさ」「絶対、やってやるさ」と子どもたちの様々な思いが行き来しながら、新しい生活がスタートしました。

 

「おやつの時間」がはじまろうとしていた時の事です。Aちゃんは「ちびっこ先生」をやってみたくなって、担任にお願いしてみました。「ちびっこ先生」は、乳児クラスに行って、お世話をしたり、お手伝いをしたり、ばら組の子どもたちの特権?です。Aちゃんの「行っていい?」の言葉に担任は「じゃ~Aちゃん、お願いします」「おやつを食べたら行ってくださ~い」。

さて、その日のおやつは“蒸しケーキ”でした。さっさといただいて「ちびっこ先生」に行きたいと思っていたAちゃんに“試練”が訪れます。Aちゃんにとっては、どちらかというと“苦手”なメニューだったのです。蒸しケーキは、噛んでも、噛んでも、いつまでも彼のお口の中で渋滞します。いつもは早くに食べ終わるのに、なかなか食べ終われず、すぐに「ちびっこ先生」に行きたいのにいけない“歯がゆい思い”をいっしょに噛みしめていました。

 

すると、どうでしょう。1人、2人、3人…と、おやつを食べ終わった有志が「ちびっこ先生」に志願して乳児の部屋に行くではないですか!「あ~あ、今日はムリ」となかば、あきらめかけていたとき、同じフロアーで同じように時間をかけておやつをいただいている2歳児、うめ組のBちゃん、Cちゃんを発見しました。「よし、これだ!」「ここで活躍できる!?」と、Aちゃんは、咄嗟に牛乳を口に含んで、なかば飲み込むように食べ終えました。速く食べ終える“技”を発見したのです。大急ぎで片づけて、BちゃんとCちゃんのところに駆けて行きました。

 

Aちゃんは、2歳児担任に「Bちゃん、それ苦手なの?」と尋ねると「うん、どうだろう…。さっきからずっとそのままやねん…どうしたらいい?」と答えると、Aちゃんは、少し考えて、「ちっちゃくしたらどう?」と提案し、実際にスプーンでケーキを小さく切りはじめました。

それから、Aちゃんは、Bちゃんの横に寄り添って「食べてみ?」と優しく声を掛けます。

がんばっている相手が同年齢の友達なら、そんな“親切”な振る舞いに至ったでしょうか!

もしも、相手が同じクラスの子どもなら、この場面、「牛乳、いっしょに飲むねん。Aも食べられたんやから、おまえも食べれるって!」と、素っ気なく言い放っていたかもしれません。

Aちゃんは、食べ辛さを共感できているだけに、何度もなんども、Bちゃん、Cちゃんの顔を覗き込んで、「ちっちゃくしたら食べられる?」と話しかけて様子をうかがっていました。

子どもとは言え、人は、出遭った相手によって、自分の振る舞い方を“調整”するものです。それは、社会性の育ちと無関係ではないと推測できます(これは保育の基本に関係します)。

Aちゃんの懸命の努力に応えるかのように、BちゃんもCちゃんも、全部、きれいに食べることができました。すかさず担任は「Aちゃん,ありがとう、Aちゃんのおかげで2人ともたべれたわ~、さすが、ばら組さん、さすが、ちびっこせんせいやな~」と労いの言葉をかけます。

Aちゃんは、嬉し、恥ずかし、モジモジ、ニヤニヤします。Aちゃんと、そして、担任が嬉しそうにしている姿を観て、BちゃんもCちゃんも、それぞれ嬉しそうにしていました。

 

実に、微笑ましい、けれども、園生活では、ふつうによくある光景です。

ここで3人の心の中に分け入ってみると、いろんな気持ちが見え隠れします。

5歳児、ばら組に進級した誇りや喜びが「ちびっこ先生」(お世話)をしたいという“意欲”をかき立てたのだと思います。ほとんどの子どもが大好きで、美味しくて栄養満点で、私も実際に、いただいたことがある“蒸しケーキ”。けれども、ABCの3人の子どもにとっては食べきるのに少々、時間のかかるおやつでした。しかし、そこには思わぬ栄養素が含まれていたのです。

「ちびっこ先生」をして“お世話したい”というAちゃんの“意欲”は、「“蒸しケーキ”を牛乳とともにいただく“技”を発見する力(考える力)」を生み出した、と見て取れます。

 

人間には元来、思いやりや親切心(協力と同根)が備わっています。それが人類を進化させたといっても過言ではありません。Aちゃんが、Bちゃん、Cちゃんに食べさせてあげた親切心=お世話は、ある意味、人として、しぜんな欲求です。しぜんな欲求ですから、それを満たしてあげる場面や環境を園生活のなかにつくっていく。あるいは、ご家庭の中でもつくっていただくことは、人間が、人間らしくとあるために、とても大事なことだと思います。

 

私の周りには、特に頼んでもないのに「あれをしてあげよう」「これもしてあげなきゃ」と、年老いて危なっかしい私の姿を見て、何かと親切にしてくれる世話好きな人が居ます。特に日本人にはそんな気質が在るように思います。で、そんな時,無下に断るのも悪いので、時には苦笑いをこらえながら、あれも、これも、ありがたくしていただいているのです。

BちゃんもCちゃんも、確かにAちゃんに食べさせてもらってありがたいと感じる反面、もしかして、自分にいっしょうけんめいかかわってくれているAちゃんの“親切心”に応えなきゃ、と微妙な気遣いがはたらいていたかもしれません。“蒸しケーキ”はこんな美味しいエピソードを生み出しました。心に栄養が届きました。一方で、もし、2歳児と5歳児という“発達の差”がなかったら…? これからの「保育・教育」を考えるテーマになりそうです。(資料提供:藤本)