週刊メッセージ“ユナタン”15
≪ユナタン:15≫ in 種の会
~ サーキット運動:昔と今のおはなし ~
平成28年5月3日 片山喜章(理事長)
法人7施設(保育園3、こども園4)で共通する「教育プログラム」があります。
皆さん御存じの「サーキット運動」です。乳児から幼児まで“みんな”が、とても楽しく取り組んでいます(“みんな”という表現は安易に使うべきではありませんが「サーキット運動」に限っていえば、妥当な表現です)。長時間、園の中で過ごす子どもたちにとっては、身体機能を確実に高める効果もあって“生活必需プログラム”の1つであるといっても過言ではありません。
法人の定番活動に至る経緯を私個人の体験と重ね合わせるなら、40年前の1976年、神戸市須磨区のモデル幼稚園で見学即実際にジャージに着替えて新米研修生として参加したことからはじまります。経済学部在籍の学生で、5歳児の子どもが、どのくらいの体格なのか想像さえできない、まして幼稚園、幼児教育の世界は頭の隅にもない無縁状態のまま、サーキットをする5歳児の子どもに出会いました。大学では「マルクス」などをヒッシに勉強していたこのド素人の第一印象は、「コマネズミのような奇妙な光景!」だけど「合理的な指導法だな!」、でした。
体育遊具は、大工さんが作った特製のハシゴや平衡板、大中小のボックス、厚さの異なる多彩なマット、タイヤもバイクタイヤ、大きなレーシングタイヤから小さなゴーカートタイヤまで大量の新品が用意されていました。そこで7~8人の研修生が開発者の故水谷教授(元祖サーキットの命名者)の下で、数々の遊具を如何に組み合わせるか、あれこれ検討してコースづくりをし、40数名の子どもたちを迎えます(サーキット用の巧技台がまだ製作販売されていない時代です)。
1列に並んで、行ったり、来たりのジグザグ上のコースを駆ける姿。様々な遊具を組み合わせた障害物をきらきらした表情で移動する姿。見ている方が飽きるくらい、何周も何周も飽きずに試技を続けます。頭や額から汗が滲み出ていることを誇らしげに訴えます。50分以上、持続する子どもの体力は、不思議というより異様な感じでした。子どもは色んな事に目移りして飽きやすい存在だと漠然と理解していた当時の私はどう「解釈」してよいのかわからず、その「疑問」はこんにちも尚、持続し、私を子どもに関わる仕事に従事させている大きな要因です。
毎週1回、3コマ、サーキットをした後、水谷教授と研修生は“振り返り”をします。大人より明らかに体力が劣る幼児が、50分間も動き続けられるのは、「回復力の速さ」(ミルキングアクションが作用)が在るからです。激しく動いても、わずかな休息で即回復するのが子どもです。ということは、幼児は、不断に「運動欲求」を生理的次元で保持している、そのような「子ども理解」を大前提に「体育指導法」は考案されるべきである、と自分なりに会得しました。
「体育指導」といえば(法人設立前、15年くらい体育指導者で生業を立てていました)、跳び箱の開脚トビ、逆上がりができる、そこをめざして指導するのが、体育指導者の務めだとイメージされがちです。けれども認可の保育園、こども園の場合、公教育ですから、指針に沿って指導法を工夫することが責務です(スポーツ教室は各家庭で選択する習い事なので別です)。
法人全体で「サーキット運動」という「枠組」(内容が多彩なので「枠組」と定義)を取り入れているのは、「体力づくりという目的」を、もう1つの幼児教育のテーマである「探究心や意欲づくり」という理念と「相乗的に実践」することができるからです。ですから、跳び箱=開脚トビを単純に目標にしないで、よじ登りも意義深い動きと考えます。個々によって思いは違うし、同じ子でも周回するたびに気分が変わり、チャレンジしたい動き方が変わります。そのような“まなざし”で個々の子どもと関わる事が指導者の努めです。当然ですが、開脚トビが跳べるようになりたいと願う子には、その願いを叶えるような“ノウハウ”を用いるのも指導者の努めです。
1歳児でさえ、目の前の遊具(障害物)を越える方法を自分の能力と相談しながら、動き方を自分で考えて実行している姿が観察されます。4,5歳児になると登り坂の設定に対して、駆け上がる子、あえて腹ばいで登る子、その子なりの「身体的探究心」を満足させています。身体的な探究心を発揮した結果、体力が向上する。まさに「一石二鳥」、「合理的な指導法」です。
40年前に「合理的」と感じたのは、体育館という「限られた空間」、50分という「時間」、そして40名を超える「大勢の子ども」、そんな「制約」の中で“みんな”がたくさん汗をかいて多彩な動きを経験できる様子を見たからです。そして指導経験を重ねるほど“奥深い指導法”であると実感します。当時は、ケイタイもTVゲームもなく、8ミリが浸透し始めて、ホームビデオがわずかに普及し始めた頃でした。当時に比べると現在は、過剰といえるほどの情報の刺激を受け、TVゲーム等のバーチャルものを手指だけを使って興じる時間が増えています。それ故に調整力全般を養うサーキット運動は、日常的に必要性の高い活動であると確信できるのです。
しかし最近、持続時間が低下している傾向を感じます。TVやビデオ、TVゲームによるバーチャルな刺激が、子どもの身体的探究心を奪っているという推測と、サーキット向けの遊具が既製品化されて多数、出回り、指導者の創意が劣化していることも要因の1つだと考えます。
私は、これまで様々な条件の下で、1万回を越える指導に従事してきました。椅子とテーブルと傘たてだけで変形コースをつくったり、半分の子どもがコース上でマットやトンネルや台になって交替する“ニンゲンサーキット”をしたり、常に厳しい状況で創意を磨いてきました。
同じコースで、同じ1歳児でも、私がそこに居ると子どもは良く動き、居ないと散漫になると担任たちは言います。なぜでしょう? 教育現場には、“未解明な事”がいっぱいあるのです。