種の会からのお知らせ

週刊メッセージ“ユナタン”23

≪ユナタン:23≫ in 種の会

~ 運動会を通した「競争」と「協同(協力)」のあとで ~

平成28年10月11日 片山喜章(理事長)

既に運動会を終えた園と、今週、運動会を開催する園があります。きっと園の雰囲気に大きな“違い”があると思います。今週末に開催する園は、いま、園全体に「緊張感」が漂っているでしょう。既に終えた園の子どもたちの表情にはきらきらと達成感の残り火が灯っているでしょうし、先生たちも安堵感に浸り、一息ついたら、きっと「秋」をテーマに、そのクラスらしい保育を展開するだろうと思います。

運動会本番が終わるまで、子どもたちが集中して発揮した「競争」と「協同(協力)」のエネルギーは、運動会を終えた達成感や解放感と“融合”すると、一層、豊かな探求心や表現欲求に変容するだろうと期待しています。夏の暑さを通り過ぎて、秋には収穫の時を向かえる四季の移り変わりのように、子どもたちを取り巻く園生活の変化が1人ひとりの成長を後押しするだろうと思います。そういう意味で「運動会」と「発表会」は、いかにも日本の文化のDNAを引き継いだ大切な行事だと言えそうです。

≪競争の意味を考える≫
私自身、いつも思い考えるのは、運動会には欠かせない「競争(勝敗)」についてです。
勝ち負けの現実(感覚)を体験することは、どのような教育的価値があるのだろう、またその年齢にふさわしい競技内容は?等、常々、思案(私案)し、提案しています。
生き物は「生存競争」「弱肉強食」の摂理の中で命を保ち子孫を残すことが“生きる”ということです。一方、どの生き物も「種の保存」のために「協力・協同」「支援・援助」という“助け合う精神”も本能的に持ち合わせているはずです。

しかし、いま、世界規模で拡大し続ける格差、際限なく広がる国際紛争に目を向けると「生存競争」「弱肉強食」の域を超えた「非生物的状況」に至っています。“不条理な競争原理”は世界経済の常識になり、“利己的な自国益主義”は、国家の基本思考に至っているように感じます。そんな「状況」に負けずに“しっかり生きよう”という気持ちを育むために、逆説的に「公正なルールに則った健全な競争体験」が必要だと確信しています。競うことで、一層その子らしさが顕在化するという見方です。ですから運動会では「かけっこ」「トラックリレー」「2人組以上の競技」などで「勝った!負けた」と一喜一憂する経験が必要であると考えます。リレーでは自分のチームの誰かが抜かれたから劣勢になり、抜き返したから優勢になる、そしてアクシデントを含めたチーム全体の“正味の実力”で勝負の結果を味わう。それが大切である、という考え方です。
≪公正なルールの下での競争なら、より良い教育になりえる≫
競争渦に居ると、悔しい思いを経験したり葛藤体験を味わったりします。けれども、公正なルールのなかの競争は、健全な自己発揮を保障するものであり、同時にそれは、協同(協力)する精神を育む源泉になると捉えています。リレーで最後に走ったA君が抜かれて、自分のチームが敗れた時、チームメイトは何を感じるでしょう。A君なりに精いっぱい走る姿を目にします。“A君、遅い(怒)!”“悔しいけど、仕方ないか~”というのが、自然に湧き出る感情です。腹立たしく思ったり、責めたいけれど責めてはいけないと感じたり、自分だって抜かれたかもしれないと考えたり‥‥そのくりかえしの中で理屈を超えて“寛容さ”や“多様性の容認”は育まれるのだと思います。
サッカークラブや野球教室とちがって、運動会競技は公教育です。同じ5歳児クラスでもその子によって興味の対象や得意、不得意なものは異なります。まさに1つのクラスは多様性のカタマリです。「相手と競う精神」と「チーム内で協同(協力)する精神」が複雑に混ざり合う経験を通して、成長(教育効果)が期待できると考えられます。

≪協同(協力)の精神は大切だと言われるけれど……≫
バルーンや組体操のような、競技ではない演技種目では、仲間の中で自分の役割を果たすことを意識しながら、力を調整する能力が求められます。このような調整型、協調型の力発揮は、日本人が得意な分野であり、この“強み”は独創性においては“弱み”になると言われています。また、“みんな、ちがって、良い”という声や言葉をよく耳にしますが、保育や授業の内容も形態も、一斉型で“みんな、同じように”という考え方が無自覚に多数を占めています。これを協同、協調の精神の具現であると捉えることもできます。賢者や識者が語る保育・教育と現実の間に大きなギャップがあるのが日本の特徴です。これを教育界の混迷と言わないで“みんな、同じように”という考え方の中から素晴らしい面(エキス)だけを抽出しようと、今、思案(私案)中です。

いずれにしても、保育者がその子が持つ興味の度合い以上の能力を求め過ぎたり、わが子が持っている適性外の事に対して、期待し、成果を求め過ぎたりすることは避けたいものです。その結果、自分自身に肯定感が持てなくなって、他者を受容する力が弱くなり、一定の成績(学力)は身に着けても、人格として歪んでいくケースを実際、よく見聞きします。今後、その傾向は、ますます強くなるように思われます。

その子なりに“探求心”“競争心”“協同性”“寛容性”の4色のペンを駆使して「自分」を描けるように導くのが、保育・教育の役割です。そのためにも「運動会」に集中した後は、個々が興味を広げる保育を展開し、「発表会」が近づく頃には、クラスが再び集中する、そんなメリハリのある園生活が確かな成長を支えるのだと見通しています。