週刊メッセージ“ユナタンDX-9”40
〔ユナタンDX-9〕 №40
~ 卒園式の季節 ~
平成30年3月13日 片山喜章(理事長)
卒園式の季節です。もう終わった園もあります。子どもたちは当たり前のように巣立っていきますが、私たちは、卒園する子どもの名前と顔を一人ひとり思い起こしながら、その子が経験した園生活全体を振り返る機会を得ます。
私にとっては、ひとときの出会いだったかもしれませんが、それでも印象深い物語をたくさんの子どもたちからいただきました。年々、その時々の子どもの気持ちがよくわかるようになってきました。元来、幼児性満載の自分自身の感性が時代の空気にぶつかると、今の社会の不条理や不合理を退治したくなります。それこそが私の保育者としての努めだと思います。子どもたちには、これから先、何があってもくじけないで逞しく成長してほしいと願います。
「昔はよかった、なのに、今の若い人は!」と何かにつけて回顧的に“現在”を愚痴る大人たちが居ます。いつの時代でも、それこそ古代ローマの時代から居ました。それはそれで、愚痴の数だけ大人になった証拠なので批判はしませんが、私は、ある意味「昔の方が断然、良くなかった」と思います。「今の方が個々の市民は深く考えて行動できる自由がある」と感じています。
江戸時代、農家に生まれたら武士にはなれない宿命を背負わされます。職業の自由は極端に制限されていました。長きにわたって世界中、日本中、至る所でテロ(虐殺)もありました。しかし“現在”は概ね平和であるといえます。
その分、自分の意志の力で行動することが要求されます。自由を得ている分、苦悩もくっついてくる。そういう意味ではシンドイと言えるかも知れません。
これから巣立っていく今の子どもたちはどうでしょう。その子によって逞しくなれない場面もありました。それが、その子の“今”として受けとめられたり、なかったり、担任の先生もその子同様「葛藤の物語」の主役でした。
私は長年、地域の小学校の評議員をしています。私たちの何倍も厳しい環境で勤められていると実感し共感もしています。学校の中は「昔はよかった」の時代がそのまま居座っています。昔ながらの規則や規律が温存されています。
今と「昔」のねじれによって先生のなかには子どもに不条理な暴言を吐いたり意味のない規律を押し付けたり、それを保護者が我慢し、遂には我慢できずに爆発したり、悪循環が渦巻く現実を目の当たりにします。それ故に卒園する子どもたちには「自己愛をテコに逞しくあれ!」と願い、期待もしています。
学校教育の問題は国の役人が鍵を握っていますが、机上で整合性を図りながら文言づくりに励んでいるとしか思えないのが現在です。優生学を基調にしたMustづくめで具体性が乏しい。「昔」の考え方を一旦捨て去って、今の社会に適合したポジティブな教育観をつくり出す情熱や逞しさが無い(忖度意識に負ける財務省の書き換え問題然りです)。とどのつまり、人間に対する洞察が無い。そのせいで、第一線で子どもと接する先生たちは苦闘し若くしてリタイヤする比率(資料を見ました)があがっています。ほんとうに第一線は辛いです。
保育や幼児教育において、最近、ほんとうに大事にしたいな、と考えるのは、理屈抜きに面白い活動や経験を数多く重ねるということです。一斉保育であろうと異年齢保育であろうと、保育者の引っ張る力が強くても、それが面白いかどうか、そこを問いたいです。自分が参加して面白く感じた経験こそ、時を超えて逞しさに変容すると考えるからです。日々の生活で規律や規制が厳し過ぎると面白いと感じる事の質を落としてしまうと思います。
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今年度のユナタンは、これでひとくぎりにします。次年度は、すべてエピソードになります。リアルな子どもの姿から保育を見つめます。
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過日、管理職だけでなく全職員に配布して、音読しながら活用するマネジメントブック「糧」が出来ました。みなさんにも配布します。