種の会からのお知らせ

2歳児ズボンの着脱場面より #ユナタン①

2021年7月 片山喜章

6月25日まで理事長でした。

私個人の適性は、保育(園)や子ども(集団)について探求することにあります。学識系ではなく実践系です(還暦をすぎても尚、一部の園の子どもからの人気は強いです)。子どもは、良い事、悪い事をします。悪い事をしたときは、しっかり叱るのが正しい大人の態度です、ね。「しっかり叱らないから、子どもに規範意識が育たない」とふつうに考える人は多くいます。果たしてそんな単純な捉え方で良いのでしょうか。

「世界の今」も「これまでの人間社会」も、本質的に倫理や道徳や善悪ではなくて支配欲や利害関係や因襲など複雑な歴史で彩られており、不条理は山ほどあったと思います。一方、子どもの言動を○×問題のように「善か悪か」で判断し、形的に善に導くことが教育と考え「できる、できない」で人間性までも評価する価値基準に、私たちは今も尚、支配されています。

どうして乳幼児期や学童期の子どもには模範となるような言動を求めてしまうのか、それが安心、安全だと邪推してしまっていないのか、まずはそんな大人の認識の点検が必要です。

法人の3つの小規模保育園(1園の定員は1、2歳児で12名)では毎月、合同で事例検討会をしています。先日(6月24日開催)、1つの園において排泄前、自分でズボンをおろさない2歳児のXのエピソードがありました。A先生は「自分でやってみようね」と気長に誘い掛けますが頑なに無視します。「じゃあ、途中まで先生がおろすから、その後は自分でおろしてね」と妥協案を投げかけるとXはおもむろに片方のズボンをおろしかけました。“しめた”と思ったA先生は「すごい」と言いながら自分の手を放すと、Xも手を放してしまいました。

ズボンはXの片足の膝のあたりで止まったまま。(ナンデナン!?)とA先生のつぶやき。

そこでA先生、「じゃ~、こっちの足は全部先生が脱がせてあげるから、そっちの足は自分でしてね!」と妥協案part2。Xは片方の足をA先生にすんなり脱がせてもらいました。けれどもそこでフリーズ…。Xに、もう片方を「自分でおろそうか」と笑顔で誘ってみても、無視、無言、無表情。(ナ、ナンデナンpart2)。で、結局、XはA先生にズボンを両足ともすべておろしてもらって、いざ、トイレにゴー。この間のやりとりは、一体、なんだったんでしょう。

わずか数分の物語のなかに、「生活習慣の自立」「保育者の願いと迷い」「その子らしさの理解と対応」という要素が含まれていることを検討会で確認しました。

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1、2歳児だけで12名の施設。そこに常時3~4名の保育者がいる。しかも保育室は決して広くなく、当該園では、すべての保育者がすべての子どもを観察できるというある意味、好条件、ある意味、やや窮屈な環境(大人の感覚で子どもは全く感じていない)。

この日の検討会では、2歳児Xの個性(月齢と人となり)について、そしてA先生のこの場面での心の動きについて、他の2園の先生たちとともに考察しました。「生活習慣の自立」は、乳児保育において保育課題の1つであり保育者の願いです。なかでも「着脱衣」は、焦らなくても良いと一般に言われますが、集団保育の現場においては「できれば早く獲得してほしい」と願うのは、古今東西、保育者のしぜんな気持ちです。保護者も家庭ではなかなかうまくできないので「園でお願いします」と園に期待している部分が大きいのも事実です。

しかし、A先生のエピソードを読み解くと、XはB先生の前では、たいていの場合、自分で脱いだり、はいたり、自立しているとのこと。先生によって自分の振る舞い方を使い分けているのです。まさに謎のミスターX。A先生は甘いのか、B先生は恐いのか。Xは、頭のよい子? 使い分けするのは良くない子? みなさんはどう感じますか(実際問題、Xのような大人は山ほどいます)。著名な専門書には「子どもがしてほしい」と言ったら小言を言わずに「とことんしてあげることが大事」とあります(同感です)。「柔らかな心持ちでしてもらった」ことが堆積すると子どもの方から「自分でするから手伝わないで」と「自立」につながると解釈されています。

Xが「ぬがせてほしい、はかせてほしい」といわないのは、先生たちが「それが良くない事」と考えていることをわかっているからかもしれません。しかし「してほしい」と真に願っていることを口外できる事は健全に育つための過ごし方だと思います。となるとXが言えない雰囲気を作ったのは誰? A先生は救世主?(笑) 近頃の小中学生が悩みを口にできないのは、社会から「正論」で諭され、まともに扱われないことに起因していると思われます。

この事例検討会終盤、全員で確認したのは、多様な先生同士の関係性についてです。

「子どもになめられる先生は、良くない」という職員文化を作らない。むしろ逃げ道も大事。「子どもをきちっとまとめられる先生を良い先生と評さない」という価値観を確認しました。保育園は職員同士のある意味、多様性の風土が大事かもしれません。子どもは大人の何倍ものパワーで自分の力で育っていくものです。先生は、乳幼児であっても伴走者です。 Xは、最近、どの先生に対しても「ちてちて(してほしい)」と訴えるとのことです。