ユナタン
週刊メッセージ“ユナタン”11
週刊メッセージ“ユナタン”12
週刊メッセージ“ユナタン”13
2016年4月4日 月曜日
~ 立体思考で教育実践 ~
平成28年4月4日 片山喜章(理事長)
昨年12月に一旦休止していた≪ユナタン≫が戻ってきました。これまで法人7園に対して、毎週まいしゅう、同一内容のメッセージを届けてきました(HPに掲載)。が、地域も園文化も保育環境も、各園、異なりますから、的がしぼりつらい面もありました。
今回から「月2回」の配布にし、そのうち1回は、実際に「その園で在った出来事」や「実際の子どもの姿や保育者のかかわり」について、各園から報告を受けて、それをいっしょに読み解いていくことにいたします。はっとこども園の場合、毎月3日と18日の発行予定となります。
この≪ユナタン≫が「乳幼児期の教育・保育」「子どもの行動の意味理解」において、保護者の皆様と“分かち合いのツール”になることを望んでいます。また、各園において、これまで、「ユナタン会議」と称して、小グループで「メッセージ文」を読み合わせて「対話」し「考察」し、各園各様に園内研修を実施していました。今後も引き続き実施されると思います。
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日本の国ほど「望ましい保育」、「優れた乳幼児教育」のイメージに対して、曖昧な国はないと痛感しています。日本人全体の自己主張力や自己決定力の弱さと関連していると思われます。
例えば、4歳児で文字が読めように「教育」すること(たいていの子どもはできます)に対して「あまり意味がない」と考える一方で「できればそうしてほしい」と願う親御さんも結構、います。“心情、態度、意欲を育むことが乳幼児教育の基本”“探究心や判断力を身に着けることが大切”“自分の身を守る術を体得することが大事”、それらが“教育の本来の目的”であると教育関係者の多くは訴えてきました。確かにそうです。これらは「暗記力」や「知識をふやす」ことよりも、はるかに重要であることくらい、少し冷静に考えれば誰もが理解できることです。
と言っても、「そんなキレイゴトを言っていたらウチの子は遅れるのでは・・」と本音の部分で納得できない“心配症”の大人が驚くほどいます。そして、その“病理”でもって、わが子に“いろいろ干渉”し、“あれこれ求める”現状も根強く残っています。
かつて文部科学大臣が学力低下を案じて「土曜日の休日返上も視野に入れては」「教科書を分厚くし授業時間を増やす」、それによって「学力の向上を図りたい」という旨の話をされた時は、さすがに臀部を強打するほどひっくり返ってしまいました。昨今は「アクティブ・ラーニング」が業界では“トレンド用語”になりつつありますが、私の中の「本音」は〔今ごろ、なにゆーてんねん、日本のエライ人たちは、ホント“子ども”を知らない。アクティブ・ラーニングも教師集団にチャレンジ精神と創意がなければ、ゆとり教育同様すぐにアウト!〕と囁いています。
「文字の読み書き」についていえば、「教えるか」「教えないか」という「平面思考」を脱して、保育室に「ひらがな」「カタカナ」「漢字」「英語」が意味とリンクする形で目に入る「環境」を用意することが幼児教育の基本だと考えます。また、文字を検索できるファイルをコーナー等に用意して、興味がわくとそこで調べて読んだり書いたりして結果的に覚える。あくまでもその子の主体に委ねて、意欲に応えられる環境を工夫しながら設定することが指導性であると捉える、そんな考え方を「平面思考」と対峙させて「立体思考」と私は表現しています。
「ピアニカ」「あやとり」「けん玉」「コマ回し」「縄跳び」などの技芸に関しても、全員一斉に「教える」のか「教えない」のか、といった「平面思考」を脱して、“やってみたい”と欲する子どもたちが集える「時間と場所」「集中して取り組める一定の期間」を設定する、それを子ども自身が「情報」として持っている、それが「立体思考」的な実践であると捉えています。
乳児保育においても「最新データ」によって導き出された「知見」をどんどん保育に活かす取り組みをすすめています。折に触れ、具体例を紹介しますが、「赤ちゃんの有能性に関する研究」はスゴイ! 私事ですが、かわゆい孫(女)は、ほんとうに愛しいゆえにゼロ歳児として、この4月から認可保育園で保育を受けています。母親が家庭でどんなに“ていねい”に育児するより、少々寂しく辛く、厳しい出来事に遭遇しても、我慢を強いられても、玩具という探究対象があり、たくさんの仲間や先生たちとともに過ごす環境には及ばない、人間の子どもはそんなふうにできている、と実感していた祖父(私)の想いは、最新の「知見」によって支持され出しました。
また、母親(嫁)に対しても、父親(息子)と同じようにひとりの人間として、社会に参画し、そこで活躍する権利を奪ってはならないのは至極、当然のことだと思っています。。
幼保一体化がすすむ中、昨今の国会で、にわかに「子育て支援」「待機児童問題」がクローズアップされていますが、根っこのところで、国会議員さんなどは「3歳までは家庭で母親の下で育児されるのがその子のために良い」という「本音」を抱いていると察します。一方「はたらく女性のために子どもを預ける園の必要性」を訴えます。どちらも「乳幼児の能力」に畏敬の念を抱きながら「乳幼児の奥の深さ」と「教育の必要性」についてお勉強していただきたいものです。
「保育園を増設し、保育士の処遇を改善すべし、子どもにもっとお金をかける」ことは、直近の重要案件です。しかし、子どもの側にとってみれば、保育園での生活は子どもの発達のうえで欠かせないと言っても保育時間が長すぎます。せめて5時には帰路に付くべきだと考えます。
日本の「企業文化や体質」「労働観」「子どもの生活文化の保障問題」が極めて大問題です。
みなさんのご家庭で1週間に何度、一家団欒で食事をしますか? 各園で「調査」して「国策に反映させる!」 このような考え方もまた「立体思考」であると確信しています。
週刊メッセージ“ユナタン”14ー①
2016年5月9日 月曜日
≪ユナタン:14≫ at はっとこども園
~ だいじょうぶ ~
平成28年4月18日 片山喜章(理事長)
“大丈夫だよ”
4月早々、“ママ恋し”と新入園児の多くが大合唱します。古今東西、この時期、すべての子どもが通る“試練”です。私たちはできるだけ落ち着ける環境づくりに努めます。
新入園の3歳児のAちゃんは、毎朝、お母さんとバイバイする時、「ママがいいの~。お家に帰る~」と力いっぱい泣いてアピールします。先生たちは「大丈夫、大丈夫」と懸命に慰めます。
ある日、そんなAちゃんの姿を少し離れたところからみていたBちゃんは、そっと側に来て「大丈夫だよ。大丈夫だよ」と優しく言って頭を何度も撫でました。「夕方、ママはゼッタイ来るからね」とAちゃんの顔を覗き込むように続けて言いました。さらに、もう1回、「大丈夫だよ」と言ってAちゃんの頭を撫でました。Aちゃんの“まなざし”にやわらかさがにじんできて、先生たちは、その日、Aちゃんは、確実にいつもより早く泣き止んだ、と感じました。
保育者が声掛けする「大丈夫」よりも、Bちゃんの「大丈夫だよ」の方が、Aちゃんの心に響くのだな~と先生たちは感じたようです。〔子どもは、子どもからより多くを学ぶ〕と日頃、お伝えしていますが「ケアーする事も、子どもどうしの方が“効果”が高い場合がある」と感じた場面でした。それはたぶん、Bちゃん自身が“ママ恋し”と寂しくて泣きじゃくり、“試練”を乗り越えた“経験”があったので、Aちゃんの心に届いたのだと思われます。私たちは、Bちゃんが、Aちゃんの気持ちを“思いやる感性”を持っていたことと、それ以上に、思いやったことを「大丈夫だよ」と行動に現わした“やさしさ”に称賛を贈りたいと思います。
その背景には、家庭でしっかり受容されていることや、園生活のなかで自分が(先生たちに)受容されている実態があると推測できます。“思いやり”や“やさしさ”は“伝播”(好転連鎖)することを教えられた1つのエピソードでした。
“大丈夫です”
「フリーデイ(お昼までコーナー・ゾーンで自分のしたい活動を選んで遊ぶ)」のことです。
“ごっこ遊びコーナー”から「ヤマオカさ~ん」と呼び出しの声がします ? しばらくして「予約、入ってますよ~」と同じ子の声がします。前日から「病院ごっこ」が展開されていたコーナーで遊ぶ子どもたちの声でした。(保育者の)山岡さんは『予約入れてないんですけど・・・』と答えると「いえいえ、予約は、入ってますよ。来て下さいね」ときりっと返事がきました。
(「ヤマオカさ~ん」って、まさにホンモノの病院だ。子どもといっしょに楽しまないと)と、思って“子ども心”を服用した山岡さんは、「病院」へ行ってみることにしました。
Dちゃん先生が聴診器をお腹にあてて、「う~ん、お腹に虫がいるようです。手術した方がいいですね。明日、手術しますから、必ず来て下さい。今日はお薬を出しておきます」と“診察”し、レジのある「受付」に案内されました。Eちゃんが受付にいて、前回のレストランごっこで使った「お金」を払うと、「薬」を渡され、「これは晩ご飯の後に飲んで下さいね。入れ物は返して下さいね」「では、お大事に、大丈夫ですよ」 “ごっこ遊び”は一気に盛り上がります。
子どもたちは「次の日になりました」と自分でナレーションしながら、場面展開を行いました。(う~ん、まるで発表会の場面展開!)。ヤマオカさんが病院に行くと「今日は手術でしたね。荷物はそこに(長椅子)に置いて、こちらに来て寝て下さい」とDちゃん先生に案内され,ベッド(以前、違う“ごっこ遊び”で使用していたもの)に寝かされました。
「では、始めます」と言って、ヤマオカさんのお腹を切るDちゃん先生、「酸素マスクしますよ」と看護師役のE君が“患者さん”の口と鼻を“酸素マスク(ヨーグルトカップ)”で覆いました。Dちゃん先生は「麻酔します。喋らないで下さいね」と患者さんに指示しました。
ヤマオカさんは不安になって、おどおどしていると「大丈夫、大丈夫、頑張って」とD医師から励ましの声をかけられました。「手術、終わりました。大丈夫です。成功しました。」とD医師。
わずか3分で終了した大手術。その後、D医師は「歩いて帰って下さい」と指示しました。
「えー!いま、手術したばっかりやのに、もう歩いて帰るのですか?」とヤマオカさんが不安げに訴えると「大丈夫です。次に手術する人がいるから、早く帰って下さい。」ときっぱり明言しました。名医なのか?ヤブなのか? 「受付」で「お金」を払い、薬の説明を受けて、帰ろうとすると「明日は消毒しますからね」とD医師から念押しされました。
翌日、Dちゃんのママにお話すると、「テレビ」で見た場面の再現のようで、筋書も似ていたとのこと。その「番組」は、お笑い系なのか、シリアスなものなのか、定かではありませんが、あらためて、「テレビの力」の大きさを思い知らせました。言い方を変えると、子どもは視覚や聴覚から入ってきたもの、それが興味あるものなら、いち早く記憶し、真似てみようとするんだな、と思いました。それと共に身近にいる我々大人たちのこともきっとよく観察をしていて、それは伝播し、子どもは真似して、いつかその子らしさを形成しているのだな、と思いました。
「良いお手本にならなきゃ!」、ヤマオカさんは、子どもから訓示を処方されたようでした。
こんなふうにテレビがきっかけで発生した“病院ごっこ”。「コーナー・ゾーン」という一見、ただ遊んでいるだけの風景ですが、このような“おもしろい生活スタイル”に浸っていると、おのずと、自発性や判断力ははぐくまれると実感します。今後、ヤマオカさんではなくて、健康な子どもたちが“病院”に集って、ごっこ遊びを盛り上げてほしいものです。(資料提供;溝上)
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≪ユナタン:14≫ at なかはらこども園
~ 子どもの力を引き出す仕掛けづくり ~
平成28年4月20日 片山喜章(理事長)
毎年、この時期になると園のあちらこちらで“元気な泣き声”が響き渡ります。私たち保育者は、この声に包まれると“新しい年のスタート”を実感しすがすがしい気分に浸ります。しかし泣いている子どもたちは、それぞれ、その子なりに“適応”するのにいっしょうけんめいです。
新入園児にとって、最も成長するのが、この時期なのかも知れません。私たちもしっかり寄り添っていこう!と構えています。そんな折、下記のような「エピソード」がありました。
<昼食前にサンドウィッチ?>
2月半ばより「移行期」(年度内に次のクラスの保育室で生活し、スムースに新年度を迎える)がはじまりました。2歳児あひる組の子どもにとって、階段を登って2階にあがるのですから、全く違う環境で生活することになります。ある子にとっては“わくわく”の冒険であり、ある子にとっては不安いっぱいの“ドキドキ”です。そんななか、去年2歳児あひる組で入園し、今年3歳児ばんび組になったAちゃんの姿です。入園当初はお母さんから離れることがとても不安で、毎日自分のリュックサックを背負って玄関のところで泣いていました。私たちはその姿が頭に残っていたので、2階にあがることは、Aちゃんにとって、どうだろうと案じていたとき…。
幼児クラスならではの事が起きました。給食が始まる前の事です。新ばんび組の子は、自分のトレーを持って列を作って並んで、お当番の友達に「自分の欲しい量」を自分の言葉で伝えて、よそってもらうスタイルにまだまだ慣れていません。そのなかで、Aちゃんは、といえば…。
確かに、はじめは不安げでしたが、それを感じた5歳児ぞう組のお姉さんたちがAちゃんをサンドウィッチのように前後で挟むと、それで安心したのか、笑顔になって並んでいたのです。
「どれぐらい食べる?」というお当番の質問にも「すこし!」と元気に答えていました。他の、ぞう組の子も、Aちゃんが自分の席につくまで横でそっと見守り、トレーがこぼれそうになったら自然に手を差し伸べていました。今では、自信を持って過ごす姿が見られます。
Aちゃんだけでなく、新3歳児ばんび組の子どもたちが不安でいることを、子どもだけが持っている“アンテナ”で察知し合っている気がします。なので、お姉さんたちは、すばやくAちゃんを挟み込んで庇護したのでしょう。そんな振る舞いを“やさしさ”とか“思いやり”という以上に、双方の子どもにとって心地よい、子どもらしい“普通の振る舞い”と捉える方が適切だと思います。そんな“普通の振る舞い”を引き出したのは、“異年齢集団”で、しかも、“セミバイキング方式の食事場面”を設定して保育する職員集団の創意と英知だと言えるでしょう。
<異年齢で生まれるエネルギー>
別の日、こんなこともありました。やはり3歳児ばんび組です。4月1日に入園したばかりのBちゃんです。初日より、お母さんが恋しくてシクシクと泣いていました。数日が経ち、少しずつ担任には心を許す姿はあるものの、悲しくて泣いてしまうことが多々ありました。
そんな中、4月に入って2回目の「フリーデー」(2階の保育室すべてを自在に遊べる環境に変えて、お昼まで自分で遊びと選び、遊ぶ相手も選ぶという保育)の時、Bちゃんは、何かを感じ取ったのでしょう、思い切って自分から「遊戯室」に足を運びました。遊戯室には20名ほどの子どもたちがいましたが、その日は5歳児がほとんどで、3歳児は、Bちゃんと他1名計2名でした。椅子を使った“簡単なゲーム”です。保育者が始める前に“ルール”の確認をした後は、5歳児の子どもたちが中心になってゲームを進行していきました。
最初、何もわからなくて、そこに居るだけのBちゃんに、5歳児の女の子が何やら親切に声をかけます。おそらくBちゃんは、ゲームのルールがよくわからなくても、声をかけられた嬉しさと、お兄さん、お姉さんが楽しんでいる雰囲気に導かれたのか、集中力を発揮して、ルール理解(感得)に努めているようでした。Bちゃんが少し戸惑っていると、別の男の子がやってきて、さりげなく“助言”します。そのうち彼女はしっかりルールを理解し、およそ1時間、いきいきと主役気分で楽しい時間を過ごしました。「ルールの理解」など何かを会得する際、先生に教わるより、子どもどうしで影響し合う方が何倍も“理解が速い”ことを私たちは実感しています。
そこには(心を許した)担任の姿はありませんでした。Bちゃんは、“子どもの世界”で遊ぶ楽しさを感じ取ったように思います。これもまた、子ども本来の“普通の姿”であると理解したほうが良いと思います。その日のお昼、毎日、残しがちだった給食も、一人で完食し、片付けをする姿は、自信に満ち溢れ堂々としていたように感じたと報告がありました。(あまりに「ベタ」なこの報告内容は、偶然なのか、必然なのか、興味深いところですが・・・)
なかはらこども園では、「異年齢保育」と「クラス活動」の両輪を動かしながら、より有意義な実践に努めています。「異年齢保育」において年齢差から生じるエネルギーには、上記2つを含む多くのエピソードから推測すると、“子どもが子どもに安心感をあたえる”、“子どもどうしで学習意欲を刺激し合う”、そんなはたらきがありそうです。現場では、保育者集団がアンテナを張り巡らして、子どもの興味・関心を感知し、“おもしろい仕掛け”を創りだすことに、日々、チャレンジしています。「異年齢活動」「フリーデー」の中で子どもの姿をしっかり観察すると、貴重な発見ができるのも事実です。そして、新任、中堅、ベテランの職員の異年齢集団が互いに影響をあたえ合うことも、より良い園運営の条件だと思います。 (資料提供:佐々井、小松)
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≪ユナタン:14≫ at ななこども園
~ “蒸しケーキ”の食感と栄養素 ~
平成28年4月22日:片山喜章(理事長)
新年度が始まり、1つ上のクラスの名前で呼ばれることに進級のうれしさを感じるとともに、心のどこかで“がんばらなきゃ”と勇んでいる姿を目にします。特に5歳児、ばら組は「和太鼓するんだよね」「ちびっこ先生はいつから?」と、前年度のばら組の姿を思い起こし、自分たちも「早く、やりたいな」「でも、できるかな」「きっと、できるはずさ」「絶対、やってやるさ」と子どもたちの様々な思いが行き来しながら、新しい生活がスタートしました。
「おやつの時間」がはじまろうとしていた時の事です。Aちゃんは「ちびっこ先生」をやってみたくなって、担任にお願いしてみました。「ちびっこ先生」は、乳児クラスに行って、お世話をしたり、お手伝いをしたり、ばら組の子どもたちの特権?です。Aちゃんの「行っていい?」の言葉に担任は「じゃ~Aちゃん、お願いします」「おやつを食べたら行ってくださ~い」。
さて、その日のおやつは“蒸しケーキ”でした。さっさといただいて「ちびっこ先生」に行きたいと思っていたAちゃんに“試練”が訪れます。Aちゃんにとっては、どちらかというと“苦手”なメニューだったのです。蒸しケーキは、噛んでも、噛んでも、いつまでも彼のお口の中で渋滞します。いつもは早くに食べ終わるのに、なかなか食べ終われず、すぐに「ちびっこ先生」に行きたいのにいけない“歯がゆい思い”をいっしょに噛みしめていました。
すると、どうでしょう。1人、2人、3人…と、おやつを食べ終わった有志が「ちびっこ先生」に志願して乳児の部屋に行くではないですか!「あ~あ、今日はムリ」となかば、あきらめかけていたとき、同じフロアーで同じように時間をかけておやつをいただいている2歳児、うめ組のBちゃん、Cちゃんを発見しました。「よし、これだ!」「ここで活躍できる!?」と、Aちゃんは、咄嗟に牛乳を口に含んで、なかば飲み込むように食べ終えました。速く食べ終える“技”を発見したのです。大急ぎで片づけて、BちゃんとCちゃんのところに駆けて行きました。
Aちゃんは、2歳児担任に「Bちゃん、それ苦手なの?」と尋ねると「うん、どうだろう…。さっきからずっとそのままやねん…どうしたらいい?」と答えると、Aちゃんは、少し考えて、「ちっちゃくしたらどう?」と提案し、実際にスプーンでケーキを小さく切りはじめました。
それから、Aちゃんは、Bちゃんの横に寄り添って「食べてみ?」と優しく声を掛けます。
がんばっている相手が同年齢の友達なら、そんな“親切”な振る舞いに至ったでしょうか!
もしも、相手が同じクラスの子どもなら、この場面、「牛乳、いっしょに飲むねん。Aも食べられたんやから、おまえも食べれるって!」と、素っ気なく言い放っていたかもしれません。
Aちゃんは、食べ辛さを共感できているだけに、何度もなんども、Bちゃん、Cちゃんの顔を覗き込んで、「ちっちゃくしたら食べられる?」と話しかけて様子をうかがっていました。
子どもとは言え、人は、出遭った相手によって、自分の振る舞い方を“調整”するものです。それは、社会性の育ちと無関係ではないと推測できます(これは保育の基本に関係します)。
Aちゃんの懸命の努力に応えるかのように、BちゃんもCちゃんも、全部、きれいに食べることができました。すかさず担任は「Aちゃん,ありがとう、Aちゃんのおかげで2人ともたべれたわ~、さすが、ばら組さん、さすが、ちびっこせんせいやな~」と労いの言葉をかけます。
Aちゃんは、嬉し、恥ずかし、モジモジ、ニヤニヤします。Aちゃんと、そして、担任が嬉しそうにしている姿を観て、BちゃんもCちゃんも、それぞれ嬉しそうにしていました。
実に、微笑ましい、けれども、園生活では、ふつうによくある光景です。
ここで3人の心の中に分け入ってみると、いろんな気持ちが見え隠れします。
5歳児、ばら組に進級した誇りや喜びが「ちびっこ先生」(お世話)をしたいという“意欲”をかき立てたのだと思います。ほとんどの子どもが大好きで、美味しくて栄養満点で、私も実際に、いただいたことがある“蒸しケーキ”。けれども、ABCの3人の子どもにとっては食べきるのに少々、時間のかかるおやつでした。しかし、そこには思わぬ栄養素が含まれていたのです。
「ちびっこ先生」をして“お世話したい”というAちゃんの“意欲”は、「“蒸しケーキ”を牛乳とともにいただく“技”を発見する力(考える力)」を生み出した、と見て取れます。
人間には元来、思いやりや親切心(協力と同根)が備わっています。それが人類を進化させたといっても過言ではありません。Aちゃんが、Bちゃん、Cちゃんに食べさせてあげた親切心=お世話は、ある意味、人として、しぜんな欲求です。しぜんな欲求ですから、それを満たしてあげる場面や環境を園生活のなかにつくっていく。あるいは、ご家庭の中でもつくっていただくことは、人間が、人間らしくとあるために、とても大事なことだと思います。
私の周りには、特に頼んでもないのに「あれをしてあげよう」「これもしてあげなきゃ」と、年老いて危なっかしい私の姿を見て、何かと親切にしてくれる世話好きな人が居ます。特に日本人にはそんな気質が在るように思います。で、そんな時,無下に断るのも悪いので、時には苦笑いをこらえながら、あれも、これも、ありがたくしていただいているのです。
BちゃんもCちゃんも、確かにAちゃんに食べさせてもらってありがたいと感じる反面、もしかして、自分にいっしょうけんめいかかわってくれているAちゃんの“親切心”に応えなきゃ、と微妙な気遣いがはたらいていたかもしれません。“蒸しケーキ”はこんな美味しいエピソードを生み出しました。心に栄養が届きました。一方で、もし、2歳児と5歳児という“発達の差”がなかったら…? これからの「保育・教育」を考えるテーマになりそうです。(資料提供:藤本)
週刊メッセージ“ユナタン”14ー②
2016年5月9日 月曜日
≪ユナタン:14≫ at 池田すみれこども園
~ 「子ども主体」は「子どもどうしの中」で現れる ~
平成28年4月22日 片山喜章(理事長)
<「あそぼ~や」の力>
4月早々、これまで慣れ親しんでいたクラス(保育室や担任)がかわるだけで、何となく不安になる子どもが居ます。ですから、法人の基本方針として「移行期」を設けて、「年度の落差」をできるだけ無くして、よりていねいな保育をめざして実践してきました。
本園において、今年度は、しっかり取り組みたいと思います。「移行期」とは、例えば、2歳児桃組は、運動会が終わった頃から、少人数(1回6人くらい)が2階にあがって半日、過ごす日を設けたり、11月頃から、幼児クラスのセミバイキングの食事のスタイルを模して、桃組の保育室でも、子どもがトレーをもって並んで先生によそってもらう等、日々、“成長し発達している子どもに対応した生活の形”をつくっていく考え方です(12月に改めて説明します)。
4月早々の事です。朝、バイバイするとき、桃組のAちゃんが泣いていました。赤組のときからいるので、保護者の方も保育者も“なんでだろう?”と不思議に思い、時には、Aちゃん以上に保育者が“不安”になったとのことでした。保育者が心配し過ぎると子どもにも“感染”し、Aちゃんはますます不安になって、毎朝、バイバイするのを嫌がります。けれども、1時間も立たないうちに、いつものAちゃんに戻ります。私は、経験的にこれは“豊かな感受性”の1つの現れであると理解しています。(ですから、白組になった頃のAちゃん姿が楽しみです)
そんなある日、「いや~」と泣き叫んで床でひっくりかえり、足をバタバタさせるAちゃん。担任が、どんなになだめすかしても、収まらない状態でした。そこに同じ2歳児桃組のBちゃんが近づいてきました。以前からなかよしでした。Aちゃんの泣き叫ぶ姿を見たBちゃんが一言。
「どうしたん? 泣いてんのん? あそぼーや」と声掛けすると、すっと泣き止んで、立ち上がり、スタスタと2人で「ままごとコーナー」の方に向かいました。(なんじゃ、これ~!)
私たちは、折に触れ「子どもは子どもどうしのかかわり合いの中で育つ」と訴えてきました。そして、そんな保育をめざしています。運動会の「練習の仕方」や「なかよしベンチ」はその具体です。ですが「4月早々の2歳児が、同じ2歳児の友達のあっさり不安を取り除くとは!」と正直、驚きを隠せないエピソードでした。2歳児クラスも「コーナー」で、子どもどうしで遊ぶ機会を保障し環境を整えています。もし“先生主導”の保育ばかりだと、こんなふうにBちゃんは主体的にAちゃんに関われたでしょうか。“普段の保育”の成果だと、私は信じます。
<危機管理は子どもとともに?>(掲載に関して、Mちゃんの親御さんの了解を得ています)
池田すみれこども園には、おひさまの光にあたってはいけないMちゃんがいます。
昨年度は、桃組、赤組のクラスを自在に行き来して、生来の“明るさ”や“ひとなつっこさ”もあって、2つのクラスで“人気者”でした。今年度、2階の黄組に属しながら、居心地のよい1階の保育室もMちゃんの生活の場になっています(光にあたれない制約があるから、1つのクラスに固定しないで、室内で過ごせる生活空間をできるだけ広くしようという考え方です)。
Mちゃんの担当者(複数)は、常にMちゃんとともに過ごしています。ふつうの子どもの2000倍も紫外線を吸収してしまう大きなリスクを背負っているMちゃんですが、親御さんと相談した結果、UVカットの帽子や手袋をしっかり着用して、時々、園庭で遊ぶことにしています。(室内のガラスにはUVカットのフィルムを貼っています)。けれども、暑くなったり息苦しくなったりすると帽子を取ろうとすることがあります(そのたびに担当者は着けなおします)。
4月早々のある日、Mちゃんは、2歳児桃組の子どもたちと、Mちゃんの担当者といっしょに園庭であそんでいました。機嫌よく遊んでいるMちゃんを確認した担当者が入室準備のために、少し離れた瞬間。「せんせっ~!」「せんせ~!」と悲壮な叫び声がします。同じクラスの男の子の声です。振り返ると男の子は、Mちゃんを指さしていました。Mちゃんは、まさに自分で帽子を取ろうと両手を頭に持っていって動かしている瞬間でした。担当者はすぐさま駆け寄って制止し、何事もなく、Mちゃんは無事に、そのままお部屋に戻りました。
ほんとうに大事に至らなくてよかった。担当者の仕事の仕方を見直す必要があります(複数の担当者が時間を区切って集中して庇護する等、集中状態を常態化する布陣が必要)。Mちゃんの事は私も認識していますが、文字や言葉の情報だけでは「受け入れ困難」という“考え方”が首をもたげていました。行政に対する不満も頭をよぎります。けれども、私も、実際にMちゃんに会って関わって、楽しげに生活する姿を目の当たりにすると「使命感」が湧き上がります。
「受け入れたい」という園長以下、職員集団の気持ち(願い)が理解できます。今回の件で思うのは、Mちゃんの存在に慣れ親しんでいるが故に、リスクの存在を無意識に軽く捉えていたのではないか! その警鐘だと受け止めて、早速、話し合って対策を講じることにしました。
そして、大声を出した2歳児(昨年の1歳児)の“男の子の叫び”には、ただただ感謝です。担任たちは、Mちゃんのリスクについて、(1~2歳児なので)子どもには一切、話していませんでした。なのに!知っている!! 普段の担当者や保育者の動きや言葉で理解していたのでしょう。昨年度、赤組、桃組を行き来していたことが幸いして、危険を察知して先生に知らせたのでしょう。すばらし過ぎる子どもの姿に、自戒と感謝と感動が入り混じった一件でした。
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≪ユナタン:14≫ at みやざき保育園
~ “スーパーチューズデイ”から ~
平成28年4月20日 片山喜章(理事長)
みやざき保育園では、ご存知のように毎週、火曜日、登園してお昼まで幼児クラス全体が1階の保育室すべてを活かして、さらに園庭も活用して「コーナー・ゾーンの保育」が展開されています(毎週、廊下に様子が掲示されています)。このスタイルによる教育的価値は、まだまだ世間に認知されているとはいえませんが、間違いなくスゴイです! 次代を見据えた新たな教育のスタイルですから当然、主要なコーナーには担当保育者が居て、より活き活きおもしろくするために、子どもたちの創意や探究心をしっかり受けとめようと、先生たちもヒッシです。
今年度、法人全体で「コーナー・ゾーン(ごっこ遊びへと発展したもの)」を豊かにするための「指標」を制作して、各園の実践を後押しする取り組みに着手しています(これまでは、アメリカ製の「保育環境スケール」を用いて、保育環境の充実に努めて一定の成果を得ました)。
4月12日の火曜日、園長、主任、前園長の岸田さんとともに、私も「指標づくり」のために、各コーナーの様子を凝視し観察しました。そのなかから、2つのエピソードを取り上げます。
制作コーナーは、端の部屋で仕切られているので、他のコーナーの様子があまり気にならず、そこを選んだ子どもたちは黙々と活動していました。1つのテーブルに4人の男児がすわって、それぞれ違うモノをつくっていました。段ボールを切ったり、ガムテープをつかったり…。その時、気になったのが子どもたちの会話です。お家の話、テレビの話題、明るく軽く、子どもらしいといえば子どもらしい姿です。私はその時「“制作”に集中できていないな」とも感じました。
教育者は、概して、いろんな現象を“教育的なまなざし”でみつめてしまうクセがあります。
私も、4人の男児たちの会話になかに“制作物に関する話題の深まり”をしぜんに期待していました。実際は、手を動かす(制作)より、口が良く動いていて、手作業とは無関係な会話を楽しんでいました。「制作は暇つぶし?」とキョウイクシャとして、若干の失望感を抱えながら、その場を後にして、隣の“ごっこ遊びのコーナー”に向かいました。
このコーナーは、“お店屋さん”で賑わったり、“美容院”になったり、狭い保育室を保育者と子どもたちが協同しながら、うまく遊びを広げて深めている“ゾーン”です。
この日は、朝、にわかに“病院ごっこ”が始まり、みるみるうちに活性化していきました。そこで驚いたのは、3歳児の女の子が白衣を身にまとい、聴診器をぶらさげて、女医さんとして振る舞っている姿でした。他にも“医師”は3名、椅子にすわり、患者さんは、新学期早々だから?? 行列ができるほど、たくさんいました。
中でも、5歳児の男児が両手で抱きしめた我が子(わが子に見立てた人形)の診察に訪れている光景は、おもしろかったです。我が子(人形)を案じて、あれこれ質問する父親(5歳児の男児)にその女医さんは、緊張した表情で聴診器を赤ちゃん(人形)の背中にあてていました。
そして“ごっこ遊び”として、停滞し困惑している女医さんに対して、担当の先生は、横の棚に、オクスリ手帳(本物のカラーコピーを素材にしている)と注射器をさりげなく用意しました。そこからまた進展します。このような教材(白衣やオクスリ手帳や注射器など)を事前に準備し、差し出すタイミングを見計らうコツ、場面、場面でうまくかかわるタイミングを逸さないこと、これらの事が保育者、教育者の指導性、専門性だと思います。ご理解ください。
そこへ、さっき「制作コーナー」で会話を楽しんでいた男児がやってきました。頭には楕円形の帽子が乗っかっていました(これをつくってたんだ)。自称、「救急救命士」です。3人の医者たちと“連携”をはかろうとします。彼は、朝から“病院ごっこ”に参加する目的で「救急救命士」をめざして“制帽”を制作していたのです。ということは、友達と世間話を楽しみながら、自分の目的に向かって制作していた、ということになります。私は、正直、唸りました、というよりも、子どもを「自分が期待する教育の対象」として見ていたことに気づかされました。
4人の男児それぞれが、同じテーマで会話を楽しみながら、それぞれ違う目的を胸(頭)に秘めて制作活動に興じていたことになります。この現実をスゴイ!と評するのではなくて、子どもたちは、本来、持っている自然な姿を表出させているだけ、そのような場をつくって、彼らの力を引き出した先生たちがスゴイ! と自賛するのが、適切だと感じました。
また、4月早々の3歳児が、女医さんになって患者さんを診察する姿も不思議です。
リサーチすると、2歳児クラスで“病院ごっこ”など、盛りだくさんのごっこ遊びを日常的にしていたそうです。下に降りたばかりの3歳児と言っても慣れ親しんだ遊びです。まして、4,5歳のお兄ちゃんが寄ってきてくれたぶん、一層、充実感を味わったことが予想されます。
その後のことです。病院ごっこが、終息に向かいだした頃、「救急救命士」たちは、まだまだ続きがしたい感じでした。そこで彼らは考えました。せっかく制作した楕円形の帽子のテッペンに小さな羽をつけて、突然、「さんごくし」(ごっこ)を始めだしたのです(確かに、諸葛孔明はそんな帽子を被ってる)。「曹操」の名も登場します。どうやら「三国志モドキ」のアニメを模しているようで,アニメの世界だけに登場する人物もいて、数名の子どもが話題をわかちあって意気投合していました。さらに、そこから取っ手のついた丈夫な「盾」を制作する子が現れ、まさに「三国志」気分です。こんなふうにイメージしたものが、すぐに制作できる環境が、イメージする力をさらに高めます。相乗効果です。そして、何より、そこで子どもに寄り添い、子どもと共に楽しむ職員集団の風土こそ、子どもたちを“のびのび”と“たくましく”育むのです。