週刊メッセージ
週刊メッセージ“ユナタン”20(もみの木台・みやざき・世田谷はっと)
2016年7月31日 日曜日
≪ユナタン:20≫ at もみの木台
~ その子のルーティンと園生活の流れ ~
平成28年7月22日 片山喜章(理事長)
にじ組(0歳児1歳児)の「お昼寝」から「おやつの時間」までの出来事です。
園生活において、この時間は、もっともあわただしくなります。幼児の場合、午睡して、決まった時間が来たら、一斉に起床して、ベッドの片づけをはじめ、おやつの準備に取り掛かります。
しかし、乳児の場合は、できる限り、ゆったりした時間の流れの中で生活の「転換」に努めています。その子のリズムや月齢差も配慮して、目覚めた子どもから自分で起きて、「遊びのテーブル」で、好きな絵本を見たり、おもちゃを手にしたりして、それから「おやつ席」に移動するのが基本的な生活の流れです。ある日のこと、Aくんは、なかなか起きてこようとしません。
子どもたちは次々に「起床」し、ほとんどのベッドが片付けられた頃、Aくん(1歳児)は、ようやく起きてきました。このとき、すでに「オムツ替え」を済ませた多くの子どもは、おやつをいただくために「おやつ席」につき、保育者に手伝ってもらって、エプロンを着け始めていました。
保育室全体の雰囲気は、「おやつの時間」がはじまろうとしている感じです。そこに、Aくんもやってきて、「おやつ席」ではなくて「遊びのテーブル」に向かって座ります。手には、絵本とおもちゃを1つずつ持っていました。(おやつなのに?)そこで担任は声をかけました。
「もうすぐおやつが来るから、絵本置いてきてくれるかな」と諭すように言いました。
ところが、Aくんは、何も答えないで、ただ笑顔を浮かべながら、絵本とおもちゃを持って「遊びテーブル」に座ったままでした。「なんだろう、この笑顔は?」「他のみんなは、おやつをいただくために、エプロンをつけてもらおうとしているのに?」「今から絵本?」「なんで、おやつ席に座らないの?」 そこで、担任は、Aくんの心に分け入って“気持ち”を読み解こうとします。
この笑顔は、明らかに『これから楽しい事をするんだ』という感じに見えました。「Aくんは、今から、おやつではなくて、早く起きた友達と同じように、絵本を見ようとしているでは…。確かに、Aくんが、座っているテーブルは、絵本コーナーのすぐ近くにあって、先ほどまで、他の子どもたちが、イスにすわって絵本を見ていたテーブルでした。そこで、担任は「Aくん、絵本読みたかったの?」と尋ねると、「うん」とうなずきました。「じゃ、エプロンは、読み終るまで待ってるね」と声をかけると、おもちゃを横に置いて、勢いよく絵本のページをめくり始めたのでした。
担任が、すべての子どもにおやつを配り終えた頃、Aくんも絵本を読み終えて、本棚とおもちゃ棚にそれぞれ戻して、席に戻ってきました。座るとすぐに「え・ぷ・ろ・ん!」と声をかけてきて、みんなから少し遅れて、おやつを食べ始めたのでした。
同じ日の午前中、園庭で遊んでいたにじ組の子どもたちが、たくさん汗をかいたので、シャワーを浴びてから入室することにしました。その頃、ずっと、涼しい日が続いていたので、シャワーを浴びるのは久しぶりだったため、水を出すと、水と同じくらいの勢いで、にじ組の子どもたちは、駆け寄って来ました。あわてて担任は「お洋服、脱いだ子から順番にしようね」と、制止しながら、1人ずつ脱衣のお手伝いをしました。ハダカンボになった子どもたちは、「シャワーを浴びる子」、「手を伸ばして水の感触を味わう子」、「水に触れて“きゃっ”と悲鳴のような歓声をあげて、その勢いで園庭を駆けまわる子」、個々の子どもがまるで水飛沫のように、飛び跳ねていました。
同じクラスのBちゃん(1歳児)だけ、靴も服も脱ごうとはせず、はしゃぎまわる子どもたちのなかで、ポツン…。(水遊びは楽しいはずなのに?)そこで担任は、あれこれと考えてみました。
シャワーをしている友達の様子を見ているのか、と言えば、それほどでもなく、Bちゃん自身、シャワーの水に触れたいのか、嫌なのか、それも定かではなくて、そこで担任は、思考をジャンプさせて、日頃の“Bちゃんらしさ”を思い描いてみました。
Bちゃんは、今年度、入園した子ですが、「生活の流れ」をよく理解している子です。「ご飯」のときは、さっさと準備して、友達にエプロンをつけてあげる場面もあるくらいです。そして、外遊びをした後は、靴を脱いで服を脱いで着て、入室して、ご飯の用意をいち早くします。
そんなBちゃんにとって、もしかして、≪みんなが靴を脱げば、お部屋にはいって、ご飯の用意をするんじゃないの? みんな、何をしているの? お部屋に入らなくていいのかな?≫と心の中でつぶやいているように担任は感じて、声をかけてみました。
「Bちゃん、お部屋に入る前に、シャワーしたらどうかなあ。それからご飯にしよう。だから、いま、お洋服、脱いでおいで」と誘うと、それまで戸惑っていた姿が一変し、すっと、テラスに行って、そこにいた別の保育者の力を借りることなく、自分で靴と靴下を脱いで、ズボンも脱いで、
シャワーのところまで、戻ってきました。そして、Tシャツを脱ぐのを担任に手伝ってもらって、シャワーを楽しんで、入室し、いつもの流れの中で「ご飯」をいただくことができました。
「起きて、絵本を持って見て、それからおやつにする」(Aくん)。
「外で遊んで、靴を脱いで靴下を脱げば入室し食事をする」(Bちゃん)。
1歳児のAくんとBちゃんに共通することがあります。それは、園生活の中で身に着けたルーティンを自分のモノにしながら生活している姿です。保育者の側も、園生活はできるだけ決まった流れのなかで過ごせるように心がけます。それが、子どもの自立を促すと考えるからです。そういう意味では、2人の動きは、生活の流れに沿おうとしたものでした。けれども、園生活は、状況によって変わるものです。変わる際には、子どもにきちんと説明することを怠ってはならない、保育者がそんな学びを得た1日でした。 ※「ユナタン」は8月お休みです。 【資料提供:上遠野】
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≪ユナタン:20≫ at みやざき
~ わくわくドキドキすっきり夏祭り ~
平成28年7月25日 片山喜章(理事長)
7月の園だよりで紹介された、2歳児もも・れもん組の「☆タンポ☆」の活動。そこで、子どもたちは「色の混ざり」「色の滲み」「色の不思議」を味わいました。“とんとん”とタンポをたたく心地よさと「色」の魅力を味わっていると“ドンドン”と下から大きな音が聞こえます。
太鼓の音でした。りんご組の子どもたちの練習がはじまりまったのです。園全体に高揚感が湧き出ます。タンポを持つ手が止まる子、“ドンドン”の音色に“とんとん”と自分が選んだ色でタンポをたたいてシンクロさせようとする子、太鼓の音に自然に笑いがでる子、クラス全体にりんご組さんへの“憧れ”が、ひろがります。何も気づかず黙々とタンポで色体験する子もいました。
憧れを抱くことは、「生きる意欲」を自分自身で育んでいることだと思います。今いるほとんどすべてのスター(選手、歌手、俳優)は、幼少期や学童期にテレビなどを通して、当時のスターへの強い憧れが動機になって、努力を重ね、こんにちの地位を得たのだろうと思われます。
しっかり練習して本番を迎えた5歳児りんご組の子どもたちも、昨年、ぶどう組(一昨年みかん組)のときの“憧れ”が、意欲の源泉になっていると思われます。ということは、子どもたちは、直接、指導を受ける以外に、この園の保育文化の影響を受けて、それを励みに生活していると言っても良いと思います。ですから、「コーナーの日」の異年齢保育の価値と同等に、クラス別の保育(学年別の活動)も「園の保育文化の継承」「憧れの体験」という観点からも大切にしていきたいと、私たちは考えています。練習の辛さとは…憧れや園文化と相対的に捉える必要を感じます。
しかしながら、保育の中に「太鼓」を取り入れることは、「良くない」と評するインテリ園長や学者がいるのも事実です。いわゆる“ヤラセ”であるという思考です。まだまだ保育の世界には、短絡思考する方が多いのです(ウンザリしています)。太鼓=○か×か、ということではなくて、≪指導方法≫の“良し悪し”とその活動が、当事者や年少者の“憧れ”の対象になっているか、否かによって、教育効果が大きく異なる、と法人全園で確認しています。お兄さん、お姉さんの凛々しい姿に“憧れ”をもつ経験も、ある意味で、間接的な≪練習方法≫である、と思います。
一方、5歳児りんご組の子どもたちも、自分たちが「憧れの対象」になっていることを薄っすら意識していると思われます。“憧れ”を受けているから、日常のいろんな場面で、ごく自然に幼い子をいたわり、譲ってあげる気持ちが引き出される。「太鼓」には、そんな効果もあるでしょう。
夏祭りを控えてりんご組の子どもたちには、恒例のお役目があります。2歳児もも・れもん組の子どもたちに「盆踊り」を伝授することです。毎日、日替わりでお当番グループの子が5~6名、2歳児クラスを訪問し、そして見本を披露します。今年は「もったいないばあさん音頭🎶」「月夜のぽんちゃらりん♫」に加えて新しく「きのこ音頭♬」が加わります。園だより『ジャンプ』に記載されているように、1週間、毎日、「映像」を見て覚えました。もも・れもん組の年下のお客さんに観せることは、「夏祭り」で大人のお客さんに観ていただく緊張とは異なる緊張と気合いが入ります。このような体験もまた、年長児の教育・保育としては、有意義だと思われます。
ご存知のように法人全体の≪練習方法≫は“見て覚える”です。運動会のバルーン演技も見本を見て覚えて、自分たちの練習中の動き(出来栄え)を見て、話しあって、自分たちで改善していくという≪方法≫を用います。この方法で盆踊りを覚えたりんご組のお兄さんお姉さんが「モデル」となり、もも・れもん組の子どもたちは、生で観て覚えます。これは「映像」とちがって特等席で「ライブ」を見ているのと同じです。まさに「2歳児は、わくわく、5歳児は、ドキドキ」です。
しかも、クラスに入って、始める前に、りんご組の子どもたちは自己紹介をていねいにします。その瞬間、わくわくもドキドキも1つになって、クラス内の空気がピーンと張り詰めます。2歳児と5歳児の特殊な異年齢の関係ならではの不思議な世界が生れます。“憧れのまなざし”、そのまなざしを浴びる“面映ゆさ”、そのなかで「盆踊り」の曲が流れ、臆することなく彼らは踊ります。
もも・れもん組の子どものなかには、はじめ“ぽか~ん”とみているだけの姿もみられます。
が、すぐに不思議な世界の魔力によって、手拍子を打ったり、いっしょに踊りだしたり、興味も踊ります。なかには歌を口ずさむ子も現れます。そんなもも・れもん組の子どもの姿が、りんご組の子どもたちに不思議な達成感をあたえ、さらなる意欲を促します。このように、みやざき保育園では、本番前に2歳児と5歳児の異年齢交流を通したスペシャルドラマが展開されるのです。
そして、本番当日、凛々しく太鼓をたたく姿に多くの人たちが感激しました。事後のアンケートで、りんご組のある保護者が『小さな子の指導に出かけたことを、わが子はとてもうれしいと言っていた』と喜んでくださり、『本番の帰り道、“ぼく、今日も泣いちゃった”というので、何か嫌な事でもあったのかと、尋ねると、自分の番の1つ前で太鼓をたたく友達の姿に“感涙した”と言うのです」と記載されていました。(なんて、感性豊かな子なのでしょう!)
「異年齢保育」と言えば、「コーナーやゾーン」のなかで、個々の子が、自分が遊び込んだ結果、異年齢で交わっていた、というケースが一般的です。しかし、このような「設定」による異年齢交流がもたらす豊かさについても、やり過ぎはダメですが、一考する価値はあると思います。
※8月のユナタンは休刊です。【資料:「アンケート」園だより7月号「てくてく」「ジャンプ」】
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≪ユナタン:20≫ at 世田谷はっと
~ 「てっちゃん」 ~
平成28年7月19日 片山喜章(理事長)
朝、「積み木&キシャコーナー」には、3歳児おはな組の“てっちゃん(電車大好きな子)”が常時、4、5人います。木製のキシャやセンロ(線路)は、手で持つのに丁度よいサイズで、木の質感も心地良いのか、登園して、即、キシャコーナーで遊びだす子がいます。友達と会話をしているときも、その手には、キシャや線路が握りしめられている場合があります。その姿を見ていると、子どもに限らず、人は、何かを手に持つことで、気持ちが安定し、落ち着くのだと感じます。それが物欲、支配欲を生み出し拡大させるのかな、とも解釈します。手で物を巧みに扱えるのは、人とサルくらいです。サルの社会も上下関係や支配構造がはっきりしています。
そして、昨今、人は、手全体を使って物をつくらないで(農業でさえ機械化)、指先でボタン操作をしたり、パネルを撫でたり、人間らしくない生活をしています。それが、昔から続いてきた支配構造に適応しづらい現代人(現代社会)を生み出しているのでは?と、まあ、思考が、地上を走る電車ではなくて、ヒコーキのように飛んでしまいました。(まったくの独創です)
少し前まで子どもたちは、ひたすらつなげて、つなげて長い線路を作り、キシャもつないで、つないで走らせることだけを楽しんでいました。長さを楽しんでいます。線路は“終わりのないSEKAI”のように拡がっていきます。時々、つなげる手をとめて、立ち上がって“全体”を眺める子どもの姿を目にします。「何を想っているのかな~」と、ふと“疑問”が通過します。
もしかして“SEKAI NO HIROGARI”を実感しているのではないでしょうか?
木製の線路は様々な形をしています。中には、平面ではない急勾配の坂のようにせり上がったパーツもあります。平面の線路がなければ、距離を伸ばすためにこのパーツを使って拡げます。
ですから、葉脈のように線路は方々に拡がります。登り坂を使ったために、そこで行き止まりという路線も現れます。おはな組の“てっちゃん”たちは周回することを意識しないで、ただ走らせて行き止まったら戻ります。それ以上に、キシャで楽しむ子は、線路同様、長く長く連結させることに集中する姿が観てとれました(私なんか、今でも貨物列車が通ると首を振って貨車の数を数えて、50両を越えたりすると、嬉しくて、ひとり、駅の端っこで大騒ぎしています)。
「つなげる」(つながる)意味について考えさせられました。距離が伸びたのは結果であり、行き止まりになっても、くじけずに線路の凸凹をはめ込んで、つなげようとする彼らの行為は、人がつながりを求め、社会を築き、発展させようとする営みと相似形だと感じました。
最近、このコーナーに集まるおはな組の“てっちゃん”の人数が少し減ってきたので、担任の先生は、つなげるだけの線路ではなく、坂で高さを設けたり、積み木を使って高さを支えたり、“てっちゃん”の仲間入りをして“おもしろさ”が増すようにかかわりました。
(すべて子ども任せにしないで、仕掛けをつくるのが「コーナーでの保育者の役割」ですから…)
「キシャセット」には、高架にするための“支柱”がパーツに少量、含まれています。登り坂があって、そこから支柱に支えられた平面線路をつなげる、そして下り坂。そうして遊ぶのがふつうだと考えられます。担任も、しばらくそんな感じで誘導していましたが、そうはいかないところが子どもらしさです。登り坂をつなげて平面で走行すると、さらにそこから登るために、登り坂のパーツを支柱で支え、「ニ段坂」にしようとします。これは、かなり困難な作業ですが、この作業は、すぐに、おはな組の“てっちゃん”の共通の興味になりました。すると、おのずと友達と協力するという精神が動き出して、つながります。「すごい!」担任は驚きます。大人でも困難な作業を子どもたちは、協力しながらどんどん作りあげるようになったのです。
「共通の目的(興味・関心)」に「困難」が加わると人間は、協力するのだと感じました。
災害復興は、多彩な協力の精神が重なって成果を出します。今、日本が、世界が、たくさんの「困難」(貧困、人権、差別、テロ、銃規制等)を抱えていますが、格差の拡がりのなかで対応策を協議する以前に、私たちは、人類として真の「共通の目的(興味・関心)」を持ちえているか、この点を問い直さないと、世界は、光と闇に一層、分断されていくように思われます。
日に日にクリエーターになっていく“てっちゃん”は、ベンチ(縦15cm、横1m)を裏返して鉄橋に見立てたり、高架を作ったり、創意を発揮して、線路を伸ばすだけでなく風景もつくります。特にベンチを裏返して作った高架は、その後、どんどん高さを増して、その分不安定になります。バランスを失い、倒れることが続くと、段ボール箱を持ってきて補修したり、積み木をうまく使って支えにしたりしていました。同時に、運転操作もうまくなりました。
かつて、つなげることだけで満足していた“てっちゃん”は、もうこの時、鉄道の建設と運転手になって走らせる、その双方が興味の対象になっていたのです。
急勾配の坂を登らせるとき、キシャを押す手の力を調節しないと倒れます。倒れないように、壊さないように気を使う子どもたちの姿に感動します。そして、先月の「カプラ」同様、壊れても修復させる技術を会得していました。恐るべし能力。やはり、人間は、根本的にモノをつくる動物です。失敗や困難に出会ったとき、協力という武器で戦います。その戦いを通して、個の能力や腕前を向上させていくのだとサトリました。そして今、私自身、自分が“てっちゃん(哲学の哲ちゃん)”であることに気づきました。(8月のユナタンはお休みです) 【資料提供:足立千恵】
週刊メッセージ“ユナタン”20(はっと・なかはら・なな・池田すみれ)
2016年7月31日 日曜日
≪ユナタン:20≫ at はっとこども園
~ 後味バツグンの隠し味 ~
平成28年7月21日 片山喜章(理事長)
毎年、恒例になっている5歳児かもめ組のカレークッキング、かつて「やりきるクッキング」と称していました。グループのメンバーだけで、準備から後片付けまでやりきる保育です。
多くの子どもは、ジブンが、じぶんが、自分が、と主役意識をあらわにして、具材を切ったり剥いたりします。そこでモメて、トラブルになることがよくあります。“あ~、このガサついた姿は、はっとらしいな~”と以前なら苦笑していましたが、今は“これぞ、子どもの姿! 幼児はこうでなくっちゃ!”と本気で思えるようになりました。それぞれの思いを煮込みながらクッキングの用意をして、実際、作って、食べて、後片付けをする、その経験を、同じメンバーで、同じようにくり返す。この教育的意義をぜひ、ご理解いただきたいと願います。
1回目(6月8日)、こんな事がありました。Aちゃんが物怖じして、参加しようとしません。
何が原因なのか、担当の先生もよくわかりません。例え、やりたくなくても、させようとするのが日本の保育・教育の実態であり、保育者気質だと思います。もし、保護者が知ったら、お家に帰ってから「Aちゃん、どうしてしなかったの!」「ダメじゃ、あ~りませんか!」と叱責まじりの励ましを受けることは容易に想像することができます。
そこで、担当の先生は、彼女とあれこれ、話をして、Aちゃんは、同じグループのメンバーが、クッキングをしている様子を見学することになりました。「見る」という「参加」の仕方は、全くポジティブではないね~と、以前なら、そう感じるところですが、今は、“これも子どもの姿!”“幼児期は、これでよい”と本気で思えるようになりました。
クッキング保育に限らず、様々な協同的活動で大事にしなければならないのが「振り返り」の時間です。これは、はっとこども園のルーティン活動と言って良いと思います。何かに取り組んだ後、本の部屋をつかったりして「振り返りタイム」を設けます。ここは、以前も、今も変わらない、はっとこども園のすばらしいところです。
グループごとに集まって催される「振り返りタイム」では、「困ったこと」「なるほど、と思ったこと」「上手くいったこと、いかなかったこと」を話し合います。子どもたちも慣れたもので、「振り返り」のなかで出てくる意見には“的確さ”や“鋭さ”があります。このような取り組み、そして、このような経験が「小学校へいくための有意義な準備」とご理解ください。
「振り返り」では、Aちゃんは、何も発言せず、ただ聞いているだけの「参加」でしたが…
ところが「次は、みんなと一緒にクッキングがしたい」と、「振り返りタイム」が終わってから、担当の先生にこっそり、伝えたのでした。
2回目(6月15日)のクッキングの前日、Aちゃんのことが気になっていた担当の先生は、「明日は、前と同じカレーを作るよ。Aちゃんもみんなといっしょにしようね」と軽く、実は、恐る恐る声をかけました。すると、Aちゃんはにこやかな表情で「うん。」とうなずきました。
その瞬間。担任は、思わず、心の中で“バッチグー”(古い)と叫んだのでした。
当日、クッキングが始まり、担当の先生は、「前は、Aちゃん、みんなと作れなかったけど、今日は、みんなと一緒にしたいんだって」と話をしました。少しお節介かな、と思いました。
すると、Bちゃんが「Aちゃんってさ~、お料理、むっちゃ上手やねんで~。な~、Aちゃん」と応えてくれました。Aちゃんの方を見ると…、嬉しそうに笑顔を返していました。
子どもどうしで話し合って役割分担し(ここが教育)、人参を切るのが、CちゃんとAちゃんの担当に決まりました。AちゃんはBちゃんの言葉に勇気をもらったのか、Cちゃんは「人参、切ろうか?」と誘うと、「うん」と頷き、ピューラーを握りしめ、半分に切った人参をまな板の上にのせて、上から下へ、丁寧に、そして真剣に人参の皮を剥き始めました。すかさず担当の先生は「Aちゃん、上手やん! 猫の手も上手やん! 人参、いい大きさやん」と、取ってつけたような褒め言葉を放ちました。すると、他の子どもたちも「ほんまや、いい大きさや~」「ほんま、ほんま」と後に続き、Aちゃんをみんなで褒めて、認めるような発言が続きました。
このようすをどのように見ますか? 私はグループのメンバーの心遣い、やさしさを感じます。1回目の時、Aちゃんがうまく入れず、「見る」という「参加」だったことをグループのメンバーは知っています。1回目の「振り返り」の時も、無言だったことを知っています。けれども、今回は(前日の約束どおり)参加しました。そして、担当の先生は、Aちゃんのご機嫌を伺いながら、けんめいに促していました。メンバーの子どもたちは、そんな「空気」を感じ取ったのだと思います。Aちゃんのことを少し大げさに褒めたり、あえて“誘いの言葉”を投げかけたり、自然な感じを装いながら、メンバーはAちゃんを支えようと努めていたのだと思います。
BちゃんもCちゃんも私の前では、甘えたり、時には悪態をついたりします。しかし、ここ一番、仲間が窮地に居ることを察すると、自然な形でやさしさが発揮できる、この辺が、すばらしいところです。“これぞ、子どもの姿! 幼児はこうでなくっちゃ!”と改めて感じました。
もし、1回だけで終わっていたら…。このような姿を引き出した隠し味は「同じメンバーでのくり返し」という教育方法です。※ 8月は、ユナタンはお休みです 【資料提供:飯銅、溝上】
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≪ユナタン:20≫ at なかはらこども園
~ 「誕生会」で「成長」のプレゼント ~
平成28年7月20日 片山喜章(理事長)
今年度の誕生会は、5歳児ぞう組の子どもが3人、もしくは2人一組で「司会進行」「誕生児へのインタビュー」「各クラスからの歌のプレゼント紹介」「手あそび」の役を担っています。
彼らは、誕生会の1週間ぐらい前から、月担当の保育者と打ち合わせを行ないます。打ち合わせ内容は、司会進行、インタビュアー、歌紹介などを“誰が”担うのか、その“人選”からです。そして、手あそびは“何をするのか”を決めます。司会進行やインタビュー、歌の紹介は「原稿」を使って行ないますから、担当する子の“ひらがなへの興味や関心”と結びつくだけに、その人選びに関しては、保育者の側も、興味や関心が生れます。
4月、子どもたちに伝えると、「やりたい!やりたい!できるし~」と自信満々の返事が返ってきて、3名の「お当番」が話し合いました。Aさんが「わたし、司会、しようか」と切り出すと、Bさんは「Aさん、ひらがな上手やし、おねがいするわ」と、この役を担うのに必要な力について理解しているようです。Cくんは、原稿を見ながら各クラスの歌の紹介をすることになりました。
次の日、3人と担当で、原稿の読み合わせを行ないました。Cくんが「原稿」を読みながら詰まる場面があると、すかさず、Aさんがフォローします。「これはね、○○ってよむねん」「もう一回やってみる?」なんとなく国語の先生と生徒のように聞こえて、担当も苦笑してしまいました。
「3人で進行するという大役をあたえる」「何度も考えながら練習する」、そんな保育(教育)を推し進めると、どんどん主役意識は高まって、本番をイメージする力を育みます。このような経験は、クリエイティブとは言えませんが、「社会性」を育んでいる、と言って良いと思います。
誕生会本番、途中で、Cくんが言葉につまってしまったとき、舞台袖(ベンチ)に座っていたBさんは、さっとCくんのところへ行き、隣で一緒にCくんのセリフを手伝う姿がありました。
4月の誕生会で、この「当番の姿」を目の当たりにした、ぞう組の子どもたちは、ざわつきます。「自分の番が来たら、どの役にしよう」、「うまくできるかな、どきどきするな~」と期待の言葉がわいわい飛び出しましたが、その中にリンとした志が芽生えているのが、感じ取れました。
5月担当のDさんは、このとき「次、自分はゼッタイ、司会になるんだ」と密かに心に誓っていました。そして5月の話し合いの時、真っ先に「司会をする」と名乗り出て、認められたのです。
5月のメンバーは、4月と異なる進行案を出しました。最初と最後の自分たちの立ち位置について、3人で舞台(巧技台)に上がるのではなく、1人ずつ上がってしようと。そして本番、その通りに行ないました。よく覚えていたな、と感心しましたが、子どもの能力は、そのくらい高いのです。それ以上にかなり時間を経ても、細かな点を変更しようと考えて実行した姿は見事です。
6月の役決めでは、「司会やりたい!」と1番に言い放ったEくんの勢いに押されて、あとの2人は承諾しました。けれども、いざ、はじめると、なかなか台詞(ひらがな)が言えません。
心配になったFさんは、Eくんの横に寄り添っていっしょに読みました。Eくんも自信をなくしたようで、自分が適役かどうか、戸惑っている様子が伝わってきました。Fさんも複雑な表情で、担当の保育者の方を眺めます。2人の気持ちは複雑です。Eは「やってみたい」といったものの自分にはこの役はできない、他の役ならできる。Fは、この役、自分にはできるが、Eには無理そう。けれども、面と向かっていうことはできない。大人社会の気遣いと同じです(必ずしも、良い事)とはいえませんが)。結局、担当保育者のサポートで、EもFも納得して役割を変えました。
そして今月、担当の子どもたちの資質が一層、高まります。「@@くん」ではなくて「@@くんです、って、ですを入れた方がよくない?」と保育者がシナリオに手を加えます。打ち合わせ中も「ほんと、このシゴト(進行役)たのしい、ずっとやりたかった」と悦に浸る会話もありました。
圧巻だったのは、誕生会当日、誕生児の1人が欠席していることが、開始後、判明し、インカムを通して、担当保育者に伝わりました。担当者は、進行中のGくんに耳打ちしました。台本にはない台詞です。Gくんは、「うん、わかった」と頷き、何事もなく「すくすくグループの○○くんは、今日は、お休みです」と、巧みに切り抜けました。さらに、すばらしい場面は続きます。
いつも乳児は持続時間の関係で、誕生児紹介の手前で入室します。誕生児の1歳児の子が「誕生児紹介」に間に合いませんでした。進行役のGくんが名前を呼んでも、その子はいません。会場はざわつきます。担当する保育者は、自分が入るべきか、それとも子ども任せでいくのか、先が読めない状況だけに迷います。しかしGくんは、臆せず、じっと入り口の扉の方に目をやります。ほどなく担任に連れられて、その子が入ってきました。それをみて、Gくんは、即座に、遊戯室入り口の方に視線を飛ばして、「たっちグループの○○くんです」とコールしました。(ナイスです!)
毎月の行事である誕生会は、先生が司会進行し、子どもたちも、それを楽しみにするのが、ふつうです。なかはらこども園(法人内に他に2園、取り組んでいます)では、5歳児の保育の一環として取り組んでいます。進行チームは毎回、数名ですから、担当する子どもたちにとっては、ある意味、運動会や発表会よりも、主役意識を強くもつ経験になります。また、1週間くらい前から子どもたちの話し合いをファシリテートするのは担任ではない保育者が輪番に行いますから、担任外のセンセイとの関係も強くなります。同時にファシリテートする力量も磨かれると思われます。
子どもたちの姿を注視していると、前回の進め方をアレンジして、オリジナリティを生み出そう
とする意欲や姿勢を垣間見ることができます。誕生児は、暦のうえで、1歳ずつ成長する姿をお祝いしてもらいます。5歳児の子どもたちは、友達の成長をお祝いする中で、主役経験を通して、さらに成長するようです。※ユナタンは8月はお休みです。【資料提供:横田、伊勢、鹿野、小松)
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≪ユナタン:20≫ at ななこども園
~ 経験を積み上げるための環境 ~
平成28年7月22日 片山喜章(理事長)
4月に「フリーデイ」(遊戯室に多彩な遊び環境をコーナーとして設定し、幼児クラス全員がお昼まで自分が選んだ遊びをする。保育者もそれぞれの担当コーナーで援助する)が、スタートして以来、「積み木コーナー」には、5歳児ばら組のAくんが毎回と言ってよいほど居ます。
Aくんはクラスのお部屋で遊んでいる時も積み木に興じて遊んでいました。その姿は、職人さんのようです。「ビル」や「動物園」「駅」「お城」「駐車場」など、作品も実に多彩です。
そんなAくんの“腕前”は、クラス中に知れ渡っています。「フリーデイ」では、Aくんの作品を見て、同じばら組の子どもたちが「一緒に作りたいからいれて~!」「Aくんすごいな~!」「どうなってるん、これ~?」とAくんの周りには友達が集まり、Aくんも得意げに「これはな〇○やねん」「これはこうやってするねんで」と話をしてくれます。Aくんは、周囲からちょっとした「積み木名人」のような存在になっているようです。
一方、同じばら組のBくんは、「フリーデイ」の時は、その時々によって、選ぶコーナーはまちまちで、いろんなコーナーでまんべんなく過ごしているという印象がありました。
ある日のこと、そのBくんが、「積み木コーナー」にやってきました。休日に家族で動物園に行った印象が大きかったのか、「長さのある積み木」を使って、どんどんどんどん動物の部屋(檻?)を作って、広げていきます。その中にゾウ、キリン、馬などのフィギアの動物(付属品)を置いて、遊戯室の広い平面を活かして、さながら「アドベンチャーワールド」のような大きな動物園を作っていきました。※「積み木コーナー」には、動物や人のフィギアを備えておくことが「保育環境スケール」のなかでも記載されており、それに則って積み木コーナーを設置しています。
今までにはなかった「平面的な広がり」を展開するBくんの“腕前”に、他の5歳児も影響されて、「もっと広げようぜ」と言わんばかりに、Bくんと一緒に大きな動物園を作り始めました。
その様子を少し離れたところから見ていた数人の3歳児ゆり組の子も「おっ、今日は、いつもと違うな、なんか、おもしろそうやんか」と思ったのか「ナニ、これ~?」と興味を示してやって来ました。このコーナーは、もともと「木製電車&線路コーナー」と隣接しています。
この設定は、実におもしろく、以前、私が見た時も「電車」と「線路」と「積み木」が合体して「駅ビル」の中を電車が走る光景に出会いました。この設定をBくんはうまく活かしました。
そんなゆり組の子どもたちに、Bくんは「ここが、スタートで、ここから入っていいよ」と、誘います。彼らは嬉しそうに「電車」を走らせて「アドベンチャーワールド」のツアーを楽しみました。そして、その場の雰囲気は一気に活気づきました。
この活気にあふれた状況のなかに、Aくんは居ました。彼がどんな心持ちで、そこに居たのか、ふと気になりました。ふだん、自分の保育室で「積み木」に興じることの多いAくんは、狭いスペースなので拡げようがなく、積み上げて「立体的」なものつくることが日常でした。しかし、「フリーデイ」は、広いスペースのおかげで「平面的」なものを作って拡げる事が可能です。
逆に、ふだん「積み木」をしなかったBくんは「家族で動物園に行った楽しい経験」が「広いスペース」に触発されて、にわかに「積み木」に目覚めたのかもしれません。
次の週の「フリーデイ」。Aくんは「遊園地」らしきものをつくっていました。Bくんもいました。Bくんは、「動物が住むマンションやねん」と言って積み木を高く積み上げていました。
Bくんのマンションが、かなりの高さになり、積み木を一番上に置いたその瞬間、「カン、カン、カーン」と、その積み木が、音を立ててマンションの一番下まで落下していきました。
が、マンションは、崩れません。そのマンションには、いくつもの梁(はり)のようなものが組まれており、少々の衝撃では崩れないような“設え”になっていました。そしてまた、あの時のように、Bくんのところに、3歳児ゆり組の子も混じって、どんどん友達が集まってきました。
「カン、カン、カーン」、「動物マンション」に“積み木を落とし”の音が、何度も響きます。
その様子を見ていたAくん、うつむき加減で複雑な表情をしているように見えました。それでも、Aくんは、遊園地を作り続け「メリーゴーランドできたで~」と自分の“腕前”をアピールしていました。積み木職人の職員気質が、そう言わせたのかもしれません。
AくんとBくん、2人は、この経験から何を学んだといえるでしょう。私たち保育者は、この2人の子どもの姿から何を学んで、今後の教育・保育に活かすべきでしょう。
Aくんのプライドが傾いて葛藤したなら、それは理解できます。では、Bくんは、Aくんに対して、何か勝ち誇ったような感覚を抱いたでしょうか? そんなことよりも、Aくんの“職人技”については、よくわかっていたはずです。Aくんの存在が、制作意欲を刺激した隠れ要因だと捉えるのが妥当だと思います。それから「家族で行った動物園の豊かな思い出」もまた、制作意欲を促したと思われます。そして、やはり、「広い遊戯室のコーナーという環境」が引き金になってBくんに潜んでいた制作欲求が表に出てきた、と解して良いと思います。
当事者たちの意識、無意識に関係なく、このようなドラマを積み重ねていくことで「仲間意識」あるいは「集団づくり」は、醸成されていくと思われます。そして、より豊かな「仲間意識」を育むためには「フリーデイ」に代表されるように、自分で活動が選択できて、自分のペースや持ち味が発揮できて、尚且つ、異年齢で学び合えるような「コーナー」という自在な環境が必要不可欠であると考えられます。どうか、ご理解ください。 【資料提供:川端里穂・徳畑等】
※ 「ユナタン」は、今回をもって終了とします。
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≪ユナタン:20≫ at 池田すみれ
~ 「保育参観」を終えて(皆様へのお手紙です) ~
平成28年7月22日 片山喜章(理事長)
6月7日、10日、15日と保育参観が開催されました。園として(センセイたち)は、「より良い教育内容」と「見ていただくための教育場面」は必ずしも同じではないことを痛感しました。
《コーナー・ゾーンの教育的価値》
昨今、全国、どの小学校でも「アクティブラーニング」(ネット検索してください)が論議されています。中教審は、夢と希望を語りながら、その方向で改革を進めようと画している最中です。
池田すみれで展開されている、コーナー・ゾーンの環境型の教育は、まさに、この「アクティブラーニング」の幼児教育版の一端であるといってよいと思います。
《いろいろ学んで試行して「手応え」を感じた職員たち》
「コーナー・ゾーンの教育」について、センセイたちは、他園を見学し、また他園からのアドバイスをもらって、試行を重ねて、今では、担任各自が確信を持って語れる教育方法でした。
それは、子どもの姿に現れ出ます。いろんなことを自分で選んで、考えて、例えば、「製作」が「ごっこあそび」とつながって発展したり、友達同士で相談したり、ぶつかりあって決める姿を見ると感激し、私にまで報告します。まさに国が言う「協同的学び」と合致した子どもの姿になりつつあります。これまでの「担任主義」とちがって、センセイたちも、より深く話し合う環境ができてきました。いわゆる「チームティーチング」です。この点もまた、国が示している教師集団のあり方です。そして、園長ではなく、センセイたち自身が、「ぜひ、保護者の方々にも伝えたい」と強い気持ちを抱くようになって、今回の「参観内容」になりました。この点をご理解ください。
《「保育参観」には、ふさわしくない内容でした》
けれども、わざわざ、この日のために「お休み」を取って参加されたみなさまには「失望」をあたえた、と思います。私も全く同じ気持ちです。ご存知のように、3年前から関西の法人各園が、相互に保育を見せ合って、保育を評価し合っています。今年度は、コーナー・ゾーンの保育に絞って、レイアウトや遊び込みの状況、教材の研究、保育者の振る舞いについて、シビアに検討しています。それを経験しているセンセイたちは、この教育方法に惚れ込んで、また、自信(過信)をもって「保育参観」をすべて「フリーディ」と称して実施したい、と願って、参観に臨みました。
関西4園が集まった評価の日、私もいっしょでした。そこで、「保育参観はこの方法を見ていただく!」と勇ましく訴えてくるセンセイたちに、思わず、「ゼッタイ!クレームが来るよ」と返しました。しかし、「変更」の指示までは、だせませんでした。なぜなら、この教育方法自体、すばらしいものだからです。ただ、保育参観の日のメニューとしては、ミスマッチだと思います。
けれども、センセイたちの意欲に押されて「実際にやってみて、後で、クレームが来たら、自分たちで説明すれば・・・」とやり過ごしてしまいました。(ですから、私にも責任はあります)
≪コーナー・ゾーン(フリーデイ)》にはならない。クラス別の活動も重要≫
当日の様子は、尋ねていませんが(みんな落ち込んでいるので聞けない)、たくさんの保護者が来る、というだけで、もはや、本来のコーナー・ゾーンの教育にならないことは、自明の理です。
また、全園、クラス活動をとても大事にしています。そこで展開される「担任の腕前」も見ていただくことは大事です。それがなかったのは、参観した保護者として、ほんとうに落胆します。
「子どもが、楽しいということ」と「親が観て満足すること」は一致しない場合があります。
その視点にセンセイたちの理解が及ばなかった、というのが実情です。このコーナー・ゾーンの教育とは、別のところに問題がありました。コーナー・ゾーンで15分くらい過ごした後、リズム、絵画、製作等、きちんとしたクラス活動をお見せすべき、というのが、ごく、ふつうの考え方です。
参観した保護者の方々の落胆、失望のお気持ちはよく理解できますし、妥当だと思います。まだまだ、勢いだけでがんばるセンセイたち(園長、主任も?)が多いですが、“勢いがないよりマシかな”と受けとめていただくとひじょうにありがたく思います。よろしくお願いいたします。
《アンケートはかえってマイナス》
園からの情報ですと、これに端を発して、「アンケート」を実施されるようです。教育内容については、園側からのアンケートなら、意味はありますが、「保護者による保護者への教育内容に関するアンケート」は、センセイたちにとって、精神的に大きなダメージをあたえてしまいます。
一方で、「直接、園にあれこれ言えばいいのに」、といわれても、保護者の方もなかなか言いづらい状況で、また、言っても無視される、などの現実がないとは言えないと、私は感じています。
ですから、アンケートはやめてください、とは言えません。回収して「要望」を出されるとき、国の「教育要領」「保育指針」の文言に沿った内容ならば、真摯に受け取るべきだと思います。
しかし、それ以上に、数名の代表者と園の管理職とで、話し合いをしていただきたいと思います。
《保護者の声は園長の10倍以上》
かつて園長や同僚がどれだけサポートしても、回復しないで苦しんでいたセンセイガいました。
しかし、保護者が動き、子どもたちともに「手紙」を1回、書いてくださったら、いっぺんに元気になって復活した例があります。園長が10回、褒めるより、保護者の「ありがとう」の一言で、センセイたちは嬉しくなって元気がでます。その逆もまた事実です。今回、「コーナー・ゾーン」の教育のすばらしさを訴えたいために、すべてのクラスの参観で披露した“配慮の無さ”と“空気を読めなかったこと”をセンセイたちは悔いています。保護者の方と顔を合わすのが辛い、気が引ける、と、とても凹んでいるセンセイたちがいます。どうか、この状況をお察しください。
私は、コーナー・ゾーンの教育的価値を高め、そのすばらしさを理解していただくためにも、クラス活動にもっと力を注ぎ、保育の腕前を上げてほしいと願っています。そして、今、「具体的改善策」を検討しています。夏が過ぎれば、運動会モードに入ります。クラスを中心に、種目内容も練習方法も、工夫していきたいと考えています。 ※ 「ユナタン」は、8月はお休みします。
週刊メッセージ“ユナタン”22(もみの木台・みやざき・世田谷はっと)
2016年9月23日 金曜日
≪ユナタン:22≫ at もみの木台保育園
~ ドミノにならない!?(援助の仕方を考える) ~
平成28年9月15日: 片山喜章(理事長)
朝のコーナー遊びの時間、A君(2歳児クラス)は「おままごとコーナー」で遊んでいました。
その隣の「積み木コーナー」では、Y先生と数名の子どもたちがドミノ倒しをしていました。
ドミノ倒しでは、Y先生が並べたものを子どもたちが倒す遊びで、順々にドミノ(積み木)が
倒れるたびに“ワ~~”という歓声が子どもたちからあがっていました。
“なんだか楽しそうだな~”とその歓声につられるように、「おままごとコーナー」で遊んでいたA君は「積み木コーナー」にやって来て、倒している様子を見ては、他の子どもたちと同じように、「すごいね~」と言いながら目を輝かせていました。
物が一度に倒れるのではなく、順々に倒れていく姿は、魅力的なのかもしれません。物事に始まりがあって、終わりを迎える時間の流れを実感するのかも知れません。打ち寄せる波もそうですし、ホラー映画の徐々に迫り来る恐怖もまた人間の中に潜んでいる性なのかもしれません。
順々に倒れるドミノを何回か見たA君は、自分でしたくなったようです。しばらくすると少し離れたところに行って、ドミノ倒しを始めました。けれども、少し並べて倒してみましたが、倒れませんでした。なぜなら、A君の造ったドミノは間隔が狭く、積み木どうしがくっついたままで、押しても傾くだけで倒れまでに至らないのです。何度トライしても倒れませんでした。
2歳児のA君にしてみれば、積み木どうしの間隔が広くないほうが、倒れる力が強くなる、と感じるのでしょうか、何度、試しても、積み木どうしの間隔は広がりません。
とうとうA君は「できない」とY先生に訴えてきました。その様子をずっと見ていたY先生は、保育者としてのかかわり方を考えます。要領を伝えれば、それで済むことなのですが・・・・。
Y先生は「どうしてだろうね?」とさらっと声をかけました。A君は、“もどかしさ”を先生に説明するために、実際にやってみせました。並べていた積み木を一度崩して再び並べました。
けれども、並べ方は同じです。間隔は狭いままです。そのとき「間隔を開ければよいのに」と教えてあげることもできましたが、Y先生の気持ち(考え)は、倒れませんでした。
その後も何度か、“並べて⇒押して⇒倒れないから崩す。並べて⇒押して…”を繰り返すA君でした。粘り強さを感じるほどです。Y先生は、その隣で他の子どもたちとドミノ倒しの続きをしました。(A君、気づいてくれればよいのに、という思いがよぎります)。けれども、A君は、その輪に入ることなく、なんとか自力でドミノが倒れるようにがんばっていました。
そんなA君に思いもよらぬことが起きました。「違うコーナー」で遊んでいた子どもが来て、理由は定かではありませんが、A君が並べていた積み木を1つ取って行ってしまったのです。
おもわずA君は“とらないで!”と訴えます。悔しくて必死に返してくれるように訴えましたが、戻ってはきませんでした。その子どもがとった積み木は、たまたまいくつか並べていた間のものだったので、積み木と積み木の間の間隔が広くなりました。間隔の空いた積み木をじっと見て、そして、隣で並べていたY先生の積み木をそっと見て、A君は、しばらく見比べていました。
何かを思いたったのか、何かに気づいたのか、A君は「返して!」と訴えることをやめて、自分のドミノの端の積み木を押してみました。すると、ほんの少しドミノのように積み木は倒れました。A君は、さらに隣で並べているY先生のドミノ倒しを観察しながら、間隔を広くあけて、積み木を並べ始めました。(!!!)それでもまだ間隔が狭かったり、逆に広すぎたりして、うまく倒れないこともありましたが、「原理」は、感得したようで、全部うまく倒れると嬉しそうな表情になり、ドミノ倒しを楽しむことができました。
このエピソードをY先生は、振り返ります。
最初にA君が「できない」と訴えてきた時、「どうしてだろう?」と声をかけただけで、一緒に積み木を並べたり、並べ方を伝えたりしなかったのは、A君がみんなでしている輪に入らないで自分から進んで、積み木を並べようとチャレンジする姿があったこと。そして「やって!」と自分(Y先生)にお願いしなかったからだったと言います。さらに「できない」という訴え(発言)は、“どうして倒れないんだろう?”と必死に考えた故に出た言葉だと感じ取った、と振り返ります。もしも「できない」と言ってきた時、多くの保育者(大人)がするように「こうするんだよ」と伝えていたら、何度もチャレンジし、考える機会は持てなかったでしょう。
今回、偶然、友達に積み木を取られたことで「本来のドミノ倒し」に気づくことができたA君ですが、もしも、このアクシデントがなければ、どうだったでしょう。
少し時間がかかっても、気づいたかもしれないし、その日はそのまま達成感を味わうことができなかったかもしれません。だれもわからないし、そんな仮説を考えること自体、無意味だと思います。それよりも、保育者が、その子のその場面、その瞬間のほんとうの願いを読み取ろうと努め、必要な援助の仕方を探りだそうとすることこそ、まさに保育(者)の極意と言えます。
A君の願いは明らかに「自分の力できるようになりたい」でした。それを察知するには、常日頃から「自分で考える子ども」「自分で試そうとする子ども」という理念を保育者自身の器の中に叩き込む必要があります。いま、教育界は「正解主義」から「考える教育」に改革しようと動き始めました。今回、1つのモデルを提供したような事例でした。 【資料提供:佐藤 廉菜】
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≪ユナタン:22≫ at みやざき保育園
~ 興味・関心から探求心へ ~
平成28年9月20日 片山喜章(理事長)
3歳児みかん組で飼っていたカブトムシが、しんでしまって、お帰りの後、園庭に埋めることになりました。クラスの中でも大のカブトムシ好きのAくんは、いつも「カブトムシだしていい?」と時間を見つけては担任にお願いして、かごから取り出しては触って楽しんでいました。小さく不思議な形をしながらも、そこには命があって、いろいろ考えながら動いて生きている昆虫の姿は、興味・関心をそそり、可愛さを感じます。
大好きなカブトムシのうちの1匹が死んでしまって埋葬(?)するとき、Aくんは、どんな気持ちだったでしょう。
園庭にでるとBちゃんが弱っているセミを見つけて捕まえて遊んでいました。それを見たAくんは、「かわいそうだよ!優しく触らないとだめだよ」と声をかけ、すでにしんでしまったセミを見つけると「動かないね」「かわいそうだから埋めてあげよう」と言って、自分で土を掘ってセミを埋めてあげていました。Aくんはどんな気持ちで、セミを埋葬したのでしょう。寂しさ? はかなさ? いのち? じぶんという存在?
5歳児りんご組の男の子たちも、虫が大好きです。むかしも今も変わらない姿です。園庭にはヤモリがいます。虫好きの少年たちは当然、トカゲとの違いをしっています。
先日、園庭にいるヤモリを発見! 木の穴に入り込んでいます。やすやすと捕まえることはできません。そこで相談。「細い棒でつついてみよう!」とつついてみると……、
“出て来た!”のですが、物凄い速さで木の上まで登って行ってしまい、また、相談。
ア:「罠を仕掛けておこうよ!」 イ:「ヤモリは夜に光っているところに集まるはずだから、懐中電灯とか、何か光るものがほしい!」。他:「夏祭りでもらった、光るブレスレットは?」「それいいね!」ということで、事務所の先生にお願いして、木の穴の入口にエサとして刻んだニンジンを大量に仕掛け、そこにブレスレットを光らせて、一晩置いておくことにしました。
さて翌日、木を見てみると、仕掛けたニンジンがすべてなくなっていました。
「やっぱり!ここはヤモリの巣なんだ!」と子どもたちは得意げな表情で大喜び♪
その日の夕方、意気揚々とまたまた、相談。今度は“ヤモリホイホイ”と称して、箱を作って、また仕掛けていました(箱の中には粘着成分を入れていませんでした)。
結局、捕まることができないまま、お盆休みに入ってしまいました。
子どもの興味・関心は、猛暑のなかで熱くなっても、時が立てば冷めることも多々、あります。お盆明けには、「ヤモリ捕獲作戦」は無くなっていました。けれども、いつまた再燃するかもしれません。子どもの興味・関心は、絶えず目の前に在るものに刺激されて生れでます。そこでの出会いや自分の行動の結果から学習することが多いのです。
「ヤモリホイホイ」のアイデアにしても、子どもたちは常日頃からコーナー・ゾーンによる制作環境の中にいるので「つくる」ことへの興味・関心は高く、難なく「つくる」ことを思い付き、即座に実行できたのでしょう。
お盆明けには、カブトムシが卵を産み幼虫になりました。ザリガニも赤ちゃんを産みました。りんご組の子どもたちにとっては、嬉しい出来事が続きます!
いまのりんご組は、4歳児ぶどう組の時もカブトムシを飼いました。でも、みんなで1日中よく触って遊びすぎたためか、早くしんでしまいました。
昨年のりんご組も飼っていて、そのカブトムシたちは長く生きました。お世話の仕方に何か工夫でもあったのでしょうか。実は、図鑑等で飼い方を調べていたのでした。
昨年の卒園お祝い会では、いまのりんご組はぶどう組として、卒園児に対して「お祝いの言葉」をみんなでいう場面がありました。みんなで考えたそのときのセリフが‥‥
「あやとり教えてくれてありがとう。」
「給食当番してくれてありがとう。」
そして、「カブトムシ、大事にしてくれてありがとう。」でした。
今年は、去年のりんご組に習って「どうしたら、飼っている虫たちが長生きするか」、「どんなタイミングで赤ちゃんが生まれるか」など、単なる虫好きにとどまらないで、「興味・関心」が「好奇心、探求心」へと飛躍したのでした。“かわいがる”とは、もて遊ぶ事とは違い、図鑑を観て、飼い方を調べて、虫を理解し、お世話の仕方を考えるという事です。そんな姿に変容しつつあるりんご組の子どもたちです。
(今年度、カブトムシは、幼児クラスごとに飼いました)。
こんなふうに、子どもたちがカブトムシやザリガニなどの生き物に接して、きちんと調べて、お世話をするようになった背景には、飼育の文化が3歳児、4歳児、5歳児と日々の保育の中でしぜんな形で伝承されているからだと思われます。
そして、首都圏の駅前にある保育園なのに、虫たちがたくさん棲んでいる園庭のある環境に感謝せざるを得ません。※ きっと、みかん組のAくんもりんご組になる頃には虫博士になっているに違いありません。 【資料提供:谷川真由/川崎かおり】
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≪ユナタン:22≫ at 世田谷はっと保育園
~ 給食アナウンスのレシピ ~
平成28年9月20日 片山喜章(理事長)
♬ピン、ポン、パン(例えば)「きょうの、きゅうしょくは、伊勢海老のおつくり、と、フカヒレスープと・・・」と、毎日まいにち、12時前になると館内放送が入ります。アナウンスするのは、つばさ組の子どもたちです。その日の献立と、ちょっと知らせたいこと(今日は中秋の名月です)、そして放送の最後には自分の名前を言って終了です。「園全体に放送する使命を担って、(先生が作成した)原稿を読みあげて、度胸をつけること」と「その日の献立や食材の名称を知ってもらう、いわゆる食育の一環」として新年度早々、にわかに始まりました。このような初物の取り組みは、取り組みだしてから《紆余曲折》を経て、定番活動になるのが一般的です。
当初、ぶっつけ本番で原稿を読んでいました。読み方が途切れ途切れになるので、そこを改善し、今は、放送前に事務室で“下読み”をしてから放送しています。毎日、給食前に「今日は誰がするの」と尋ねて、“自分がやりたい”という意思や主体性に委ねていました。何となく子どもたちの間で、順番があるような、ないような…。結果的に全員経験しましたが、ふたまわりくらいしだした頃から、アナウンスすることへの興味が徐々に薄れていく感じがしてきました。
そこで、子どもたちと話し合いの場を設けました。「今後も、つばさ組で続けるのか、そら組に譲るのか」という選択から話し合いは始まりました。「つばさ組がする!」とみんなが声を上げました。このようなケースでは、ふつう“では、する順番を決めよう”となりがちですが、子どもたちの中に主体性を重んじる価値観が育った?のか、事前に献立を見るなりして、やりたくなれば、自分から“やりたい”ときちんと申し出て、アナウンスをする、と決めました。このような決め方をした事でかえって“クラス全体の意欲”が、とろ火から強火に変化しました。
お家で献立を見てくる子、園で先生にその日の献立を聞いて申し出る子、アナウンスしたい子にその日の献立を教えてあげる子、毎日、ふしぎな形の“やる気”が現れ出ました。
そんなある日、AちゃんとBちゃんが、献立をお家でメモして持ってきました(意欲満々)。その日はプール遊びがありました。プールでは、水遊び中心の「ちゃぷちゃぷチーム(前半)」と、泳ぎ中心の「すいすいチーム(後半)」に分かれて、その時々の気分によって各自が選択します。
後半は他のクラスが給食をはじめる頃にあがるので、アナウンスタイムには間に合いません。そこでAちゃんは、前半を選び、泳ぎを楽しみたいBちゃんは後半を選びました。
Aちゃんは、早々に事務室にやってきて「私がします。原稿もお家で書いてきましたから」といって事務室にいた先生たち(私も居ました)を驚かせました。さてこの先、どうなるやら…
「じゃ、おねがしま~す」と事務室にいた先生は、あっさりAちゃんにマイクを預けました。
一方、プールをあがったばかりのBちゃんは、Aちゃんの声が館内放送で響き渡ると、窓越しに事務室を覗き込み、アナウンスするAちゃんの姿をじっと見つめていました。 「‥……」。
この《状況》を把握した私たちは(私も園長も全職員)“このままではよくない”と数日かけて、そもそも論から話し合い、あれこれ提案し合いました。が、最終的に決まったことは、やはり、“子どもたちに今回の《状況》を話して、意見を出し合って、解決策を出す”でした。
まず、みんなはどうしたいか2グループに分かれて話し合うことになりました。①のグループはドキドキしてしまう子から順番にする案を提示し、②のグループは低月齢順にやる案を提示しました。そして、それぞれ意見交換しわかちあいました。2グループとも、ドキドキしてしまう子も「自分もする」と言い、全員がこの役割を担うことで一致しました。
次は順番です。この時に優先されたのは、放送するのが恥ずかしく避けてきて子たちの意見でした。「どうしたい?」と聞かれたCちゃんはみんなに「ドキドキするから、先にやりたい」と言いました。「それならCちゃんからやろう」と即決。そして、Cちゃんの後は、月齢の低い順に決まりました。どうしても恥ずかしくて言えないときは、助っ人をお願いしても良いことになり、給食当番の中から、1名を選んで、いっしょに行くことも了解されました。
「決まったこと」を園長、副園長に子どもたちが報告に行くと「いいですよ。でも担当の子がお休みの場合どうする? 家で準備したかった子は困ってしまわないかな。順番もわからなくならないかな。もう一度決めてきてね」と言われ、再度クラスで話し合いました。そこで決まったことは「月齢の低い子から」「サポートは1人だけ」そして「お休みのときは、そらぐみにお願する」。さらに、アナウンスをする際、「11時55分に事務室へ行き、入るときは“名前”を言って“しつれいします”と言ってから入る」。終わったら「ありがとうございました」とあいさつし、事務室をでる時は「しつれいしました」と言ってドアを閉める。と休んだ時の順番を決める話し合いに、いっぱい、いっぱい《おかず》がくっついた話し合いになりました。
本園では、話し合いの習慣(文化)が、かなり定着してきたようです(保育の基本です)。
また、ドキドキしてしまう子への配慮、そして、ドキドキしてしてもやると決意する子など、個々のこころの成長も感じます。小さい子(月齢の低い子から)から、と意見が出た背景には、ゲームコーナーの中の1つのゲームに「プレイヤーの中で1番年下の子からスタートする」というルールがあります。それが影響したなら、このゲームの栄養素が機能した気がします。
(例えば)「‥‥、……、きょうの おやつのクラッカーには キャビア がのってます、…‥」と毎日1分程度のアナウンスです。しかし、そこには、上記のような“下ごしらえ”や“下味”が施されていたことをご理解いただきたいと思います。 【資料提供:長島 萌:松本悠佑】
週刊メッセージ“ユナタン”22(はっと・なかはら・なな・池田すみれ)
2016年9月23日 金曜日
≪ユナタン:22≫ at はっとこども園
~ 月齢差のある仲間の中で支え合い ~
平成28年9月16日 片山喜章(理事長)
0歳児・1歳児、おひさま組の生活において、排泄の自立は主な課題の1つです。
1歳児の月齢の高いAちゃんと同じく、1歳児だけど少し月齢の低いBくんが、いっしょに排泄に向かいました。2人とも紙パンツの着替えを自分でしようとする気持ちは育っています。
「どれにしようか」「どれにしようかな」と、2人は思案しながら、それぞれ自分で自分の紙パンツ選んで、着替えを始めました。
突然「できなーい」と叫声が聞こえました。Aちゃんが“手伝ってほしい”と訴えたのです。そこで保育者が援助し、パンツ・ズボンも自分ではくことが出来ました。一方、Bくんは自分の紙パンツを選んだけれど、着替え用の椅子に座ったまま。どうやら“マイワールド”に入ってしまったようです。保育者がいっしょにしようと誘って、手伝いはじめても、クスクス笑いながら、体をクネクネねじって拒み、着替えようとしませんでした。そのBくんの様子を、Aちゃんは、保育者の横で、じ~っと見ていたのでした。(何を思ってみていたのでしょう?)
それを察知した担任は、すかさず「Aちゃんに少しお手伝いしてもらう?」とBくんに誘いかけると(何と)「うん」と答えたのです。保育者があの手この手でお手伝いしようとしたのに、少し月上のAちゃんならOK!Aちゃんは自分が頼られていることを感じたらしく、担任の「お手伝いしてくれる?」のお願いに快諾し、ズボンは「こう向き?」と担任に確認しBくんの前に座り、ズボンに足を通すよう促しました。ズボンに足を通してもらい、さらに「たっちして」と言葉をかけられ、Bくんは照れくさそうな表情を浮かべながらもAちゃんの「援助」を素直に受け入れて着替えることが出来ました。担任が「Aちゃん、ありがとう、助かったよ」と言うと、Aちゃんも、そしてBくんまでも満足そうな表情をして、2人で手を繋いで遊びに戻りました。
別の日の食事の時間。食事スペースへ向かうBくん。自分の口拭きタオルを取って、席に着くかと思えば、隣のテーブルの周りをうろうろ。保育者が「ご飯食べよ~」と誘いましたが行こうとしません。食事が大好きなBくんなのに…?と見守っていると、食事のベビーチェアに座っているCくん(0歳児)の所に向かいました。そして、消毒用ボトルを持って「シュッシュ!」と言いました。保育者が「Cくんにシュッシュだね」と言うと「うん」と頷き、保育者に手を添えられてかわいい、かわいいCくんの手に“シュッシュッ”してあげました。「やってあげたよ」と若干、ドヤ顔になって自分の席に戻って、自分も“シュッシュ”をして食事を始めました。
同じクラスのなかで、弟になったり、お兄さんになったりするBくんでした。
0歳児・1歳児、おひさま組では、おやつ後の時間や雨の日等、リトミックをしています。
リトミックといっても、動きは初歩的な身体表現ですが、子どもたちは曲を聞きわけることができます。「おうまさんの曲」「ワニさんの曲」「カエルさんの曲」「うさぎさんの曲」など、それぞれ、それらしく動きます。このような取り組みは、少しの時間でよいので、毎日まいにち、続けることが大切です。なぎさ組のふれあいタイムも、サーキットをする前の5分間くらい、毎日まいにち、続けています。それが結果的に運動会のとき、実を結びます。
0歳児グループは、4・5月頃、パーテーション越しに、1歳児のお兄さん、お姉さんたちが動いている場面を見ていました。見るというよりも、そこに居ました。「しても、しなくても」また、「見ても、見なくても」、そこに居ることが大事で、大きな教育的な意味があります。
場を共有することが、0歳児にとっては、学習効果をもたらすと考えられています。ピアノがなって1歳児が動き出しても、全く気に留めず玩具をなめなめしている子、何をしているんだろうとジーと見ている子、曲が流れると、時折、手を動かしたり身体を揺らしてリズムをとる子などなど、さまざまな姿がありました。
そんな日常のなかで、歩行が安定してきた0歳児αちゃんが「おうまさんの曲」が流れると、ハイハイの体勢をとるようになりました。αちゃんなりに見よう見まねで動いて、おうまさん気分を味わっているようでした。『親子でメリーゴーランド』(手を繋いで輪になる曲)では、自然と1歳児が0歳児を誘おうとする姿が見られるようになりました。当然ですが、1歳児が誘いかけても応じないで、その場を立ち去ろうとする0歳児もいます。
「手を繋いでくれない・・・」としょんぼりする1歳児の姿もありますが、0歳児にしてみれば大きなお世話です。けれども日頃からいっしょにいる月齢の近いお兄さんお姉さんですから、拒否しても、どこか申し訳なさそうな顔をする0歳児もいます。これが4、5歳児なら嫌がるような顔をするかもしれません。そして、1歳児が「おてて」と言いながら誘うと、0歳児のなかには律儀?に手を繋いでもらい、膝を屈伸させながら、お付き合いする姿も見られます。
乳児でも、月齢が近いと、“すすんで助けてもらおうとしたり”、逆に“お世話しよう”とする姿が極自然に育まれるようです。ほんとうに不思議であり偉大です。昨今、保育界では「赤ちゃん研究」が注視されています。様々な《観察》がなされて、赤ちゃんの有能性がどんどん解き明かされていますが、私には独創的な《確信》があります。保育者がしっかり観察することが最も大事だという考え方です。保育者の《観察行為》が子どもどうしの関係性を豊かにするという、量子学の考え方をアレンジしたものです。0、1歳児がいっしょになったおひさま組の保育は、年々、豊かになっています。環境を整え、レイアウトを変え、試行をくりかえしましたが、何より、観察する習慣を保育者集団が体得したからだと考えます。 【資料提供:能宗&全職員】
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≪ユナタン:22≫ at なかはらこども園
~ 協働する力の源泉 ~
平成28年9月20日 片山喜章(理事長)
なかはらこども園では「やりきるクッキング」と称して、同じグループのメンバー5~6人で毎回、カレーづくりをします。メニューもメンバーも毎回、同じにするのは、一般のクッキング保育と違って「協働作業の経験」、「仲間意識の醸成」を第一の目標に取り組んでいるからです。(4月から1つのグループは4回、同じことを繰り返しています)。しかも、この取り組みは、ここ数年、毎年、続いていますから、ばんび組、くま組の子どもたちも、ぞう組さんになったらできることを知っていて、いまから心待ちにしている子どもさえいます。
8月末、関西の姉妹園4園の栄養士が集う「食育プロジェクト」が、本園で開催されました。その際、この「やりきるクッキング」を見学しました。事後、とにかく「驚いた」とのことです。
「包丁、ピーラーが、グループに1つずつしかないのに、すべてのグループにおいて、揉めたり、取り合いにならなかった」、そんな子どもたちの振る舞いに感嘆したようです。そして、このような姿は、ぞう組になって「やりきるクッキング」をしはじめたときから、既に揉めることもなく、毎回、話し合いで解決し、同じようなやりとりをしながら、見事にやりきっていました。
A「私、ニンジンの皮むく!」
B「じゃ、ぼくは玉ねぎ」
C「わたし、ジャガイモ」
D「私もニンジン…Aちゃん半分こしよ!」
A「そうしよ」
E「じゃ、ぼくは皮を捨てる係りするわ」
F「じゃ、私は剥くものないからコーン鍋にいれる係りする」
みんな「いいよ」
ア「わたし、にんじんとなすびやりたい(切る、皮を剥く作業)」
イ「ぼくもにんじんとなすびしたい」
ウ「ぼくだってやりたい」
ア[じゃ、どうする?」
イ「じゃんけんで決めよう!」
ア・ウ「いいで」‥…じゃんけんをし、イとウがにんじんとなすびを担当。
アは、たまねぎとじゃがいもを担当することになった。
というような姿が、常態化しているとのことです。一体全体、どうしてなんでしょう?
その秘密は、昨年、4歳児くま組のときからはじめた「グループ活動」「当番活動」です。
このようなクラス運営は、姉妹園の“ななこども園”(藤井寺市)が7年以上前から、先進的に取り組んでいました。昨年、何度か見学し、それに習って、しっかり自分たちで答えを出すまで話し合う対話中心の保育を強く意識し、当番活動もどんどん日常保育に取り入れてきました。
カレー作りをする前から、「グループに包丁とピーラーは、一つずつしかない。ならば、どうすれば、うまくいくか」と考えていました。「自分がしたい気持ち」と「譲る気持ち」の対極にある心理が、その子その子の中で、そしてグループの中で揺れ動き、混ざり合います。
しかし、最終的には、「カレーを作りきる」というミッションを子どもたちなりに会得して、
自分たちの気持ちを整えようとします。全員の気持ちが「カレーをつくりきる」というところに底上げされるまで対話を深める、その習慣が、グループ全体に及ぶと、おのずとトラブルは激減します。また、1回きりの活動ではなく、「同じメンバー」で話し合い「同じカレーづくり」を
くりかえすことで「譲歩し合うこと」がしぜんに「納得」に進化すると考えることができます。
このような保育がうまく機能した背景には「担任が1人」ということがあります。くま組の時から持ち上がって30名の子どもを1人の担任で担いました。保護者感覚で言えば、子どもの数に対して、先生の数が多いほど「安心」であり、「行き届いた保育ができる」と考えます。
確かにその面はあると思います。けれども、子どもたちがしっかり話し合う習慣を身につけたのは、1人の担任の思いに集中し、感じ取ったからです。競技スポーツでも、監督の思いを果たそうとチームワークがはたらきます。複数担任の場合、子どもたちも、保育者自身もどこかで、依存し合って、担任自身が「やりきる保育」(?)を発揮しづらくなると考えられます。
もちろん、「やりきるクッキング」などを通して、しっかり話し合い(対話)をし、トラブルがないからといって、すべて素晴らしい子どもの育ち(保育)になるとは考えません。我を通し、わがままになる経験、我が通らず、大荒れになる体験、その時々に味わう感情もまた必要だと思います。何があっても、最後は「探求心」と「自分大好きの気持ち」が育ってほしいものです。
「話し合い」と「当番活動」の保育については、現在、くま組でも、定着をめざして実践し、ばんび組、あひる組においても試行しはじめています。
なかはらこども園では、ご承知のように「異年齢での活動」もたくさん取り入れています。
コーナー・ゾーンでの活動では、自分の好きな遊びに興じ、年長児の遊ぶ姿に憧れを抱いて、真似たり、年少者のわがままをやむなく容認したり、自然な気持ちが揺れ動きます。そんな
自然な自分と対話する力を身に着けて協働性のある活動に取り組むカッコイイ自分の両者が、
行ったり来たりしながら、その子らしく成長するのだと思います。 【資料提供:宮﨑友喜】
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≪ユナタン:22≫ at ななこども園
~ 転がす魅力、膨らむ魅力が織りなす仲間意識 ~
平成28年9月23日 片山喜章(理事長)
運動会の練習もそろそろ佳境にはいります。
4歳児あさがお組のAちゃんは、4月当初から、クラスの友達とはあまりかかわろうとはしませんでした。どちからといえば、1.2歳児クラスの子に親近感を持って、一緒にいると安心するようです。2歳児のサーキットや水遊びに自分からすすんで参加しようとします。給食後の自由あそびでも、キシャの玩具などで2歳児の子ども達と一緒に遊ぶ姿も見られます。それでも、あさがお組の子どもたちは、Aちゃんのことをよく知っていて無理に誘うこともなく、Aちゃんの方から近寄ってきた時には「Aちゃん、どうしたん? いっしょに遊ぶ?」など、ごく自然に声をかける姿が見られます。
運動会の練習を始めた頃のことです。まだ「いろいろお試し競技期」でした。単純な競技やこれまで運動会で行った競技種目を色々くり返して、協力を伴う多彩な“動き”を経験しながら、子ども達とともに「本番用の種目」を決めていく時期です。このような練習方法が、教育として望ましいと、当園(当法人)では考えて実践しています。
その日、大玉競技をしました。2人1組になって大玉を転がして進み、途中に2箇所、平均台を横向きに置いたハードルを大玉が乗り越えるよう、2人で力を合わせるところがあります。たまたま大玉が1個しか用意できなかったため(空気を入れるのに時間を要します)対面式で行いました。2人でスタートして、反対側の2人と交替します。
子どもたちは競う相手チームがないのに、自分(たち)の番が来たら、目をキラキラ輝かせて大玉を転がし、平均台のハードルにぶつかると必死に力を合わせて押し越えて、また転がし、行ったり、来たりのくりかえしを何度もなんども楽しんでいました。
そんな、あさがお組の大玉転がしに対して、Aちゃんは、と言えば‥…
スタートして間もない時から、ほぼ最後まで、転がる大玉の魅力に誘われるAちゃんの姿がありました。2人ずつの順番を待って並ぶことはなかったのですが、満面の笑みを浮かべて、大玉をいっしょに転がしていました。2人1組(のつもり)だったのですが、Aちゃんは、ほぼすべてのペアといっしょに参加しました。大玉は、概ね3人1組で転がっては、横置きの平均台のハードルを越えて、また転がる、という状態でした。
それに対して、クラス子どもたちは、と言えば…‥‥。
ごく自然にAちゃんを仲間として受け入れていました。大きな球体が転がる(転がす)ことが、みんな楽しくてしかたない、といった感じです。しかも、途中にハードルがあって、一旦、止まって持ちあげることは、一層、おもしろく、Aちゃんの興味をさらに強めたのでしょう。もしも、2人でおみこしを担ぐ競技ならどうだったでしょう。
まず「2人1組」のルールを守らせようと大人は考えてしまいます。大玉を転がし、途中、力を合わせてハードルを越えるおもしろさの中に、日頃、かかわりの少ないAちゃんが参加して3人組になるのは楽しい、Aちゃんの参加を嬉しく思う子どもたちが、大勢いました(この時期、エンドレス方式で勝敗のない競争にする大事さを再確認)。
次にパラバルーンでの出来事です。大きなバルーンに触れる前に、お部屋にある手作りバルーンで遊んでいると、Aちゃんも一緒に入って遊ぶこともあり、手作りバルーンにくるまって楽しむこともありました。大きな布に体を巻き付けたり、くるまることは、だれもが愉悦を感じる触覚です。バルーン自体に親しみをもったAちゃんでした。
そして、この日、みんなで大きなパラバルーンを握って、広げてバタバタすると(波を立てる)、Aちゃんはス~とバルーンの中に潜り込んで、仰向けになって寝転んで頭上で揺れる“お空”を眺め、バタバタという音や空気の動きを全身で感じ取っているようでした。何人かの子は、Aちゃんのためにバタバタ動かしているようにも見えました。
パラバルーンをみんなで高く持ち上げ、一気に降ろしながら中に入って、お尻で押さえて大きなドームをつくったときのことです。中にいると、まるで“別世界”にいるようなワクワクした気分になります。ドームの外から保育者が両手を広げて“ガオー”と寄りかかるとドームは凹みます。まるで怪物がドームを壊したような状態になり、子どもたちは「ギャー!」と大声をだして、怖がって、面白がります。怪物がいなくなると「もう1回!」と中からアンコールの声があがり、怪物はその度に応じます。中で1つの円になって座り、一体感のある“別世界”の中でスリルをわかちあって楽しみます。
「じゃ、次でおしまいしよう~」と、一旦、外に出て、バルーンを上にあげて,一斉に中に入ろうとした時、Aちゃんだけが中に入れずに、右往左往する姿がありました。
“*‥*‥*‥*”、突然、ドームの裾に穴ができ「Aちゃん、速くおいで、速く!」(怪物が来るから速く)と中から大きな声が聞こえます。Aちゃんはその穴に吸い込まれるように中に入ることができました。ドームの中では、(よかった、よかった、Aちゃん、怪物に襲われなくて)という気持ちが、きっと充満していたにちがいありません。
そこは“別世界”ではなくて子どもの世界、日頃の園生活です。 【資料提供:徳畑等】
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≪ユナタン:22≫ at いけだすみれこども園
~ “いきものがかり”の奮闘記 ~
平成28年9月16日 片山喜章(理事長)
草むらを分け入って、虫を探したり、そっと手で摘みあげたり、お世話をしたり、むかしも今も子どもたちは、特に男の子は虫が大好きです。そんな子どもたちの思いや願いを受けとめようと、本園では、“いきもののかがり”と称して、男性のH保育士が、使命感を抱きながら、その任にあたっています。そんなH保育士は、ちょっとした悩みを抱えていました。
ザリガニ、カブトム、沼ガニ、あげは等々、自分自身の生き物好きを活かして、10種類以上の小動物を収集していたのです。しかし、それらを保育として、どのように子どもたちと出会わせ、触れてもらえばよいか、思案していました。はじめは、2階のクラス前の廊下に「ケース」にいれて展示しました。子どもたちが「ケース」に群がるのは、多くの場合、外遊びに出ようとするとき、外から戻って入室する際、そして登降園時です。
外からお部屋に戻る場合、担任には入室したあとの予定があります。けれども時折、階段を上がって入室する前に、子どもたちは“いきものがかり”のH保育士を捕まえて、廊下で虫について、いろいろ会話します。その眼はきらきらして、H保育士も活き活きと子どもたちの疑問や質問に答えます。会話が弾みます。となると、クラスの仲間全員が、なかなかそろいません。
クラスのお部屋に居る担任の先生たちの「思い」や「視線」が気になります。特に降園時は、お迎えの保護者の方と重なる時間帯で廊下がごったがえして、あまり良くない状態でした。
そこでH保育士は考えました。
「そうだ、思い切って1階の玄関付近に降ろしてみよう」。間口は広く、乳児クラスの子どもたちも生き物たちとふれあうことも可能です。全体の了解を得て、虫や生き物たちを玄関近くに置くことになりました。これで「いつでも、だれでも、好きなときに、好きなものを見ることができる!」とH保育士は意気揚々となりました。が、また、次に問題が起きました。
「生き物エリア」が一か所になったため、「いつでも、だれでも良い」となると、「生き物エリア」が、バーゲンのワゴンサービス状態になり、大勢の子どもが群がって、観察どころではなくなってしまいました。実際、発言力の強い子、声の大きい子がだいたい周囲を取り囲んで、占領する状態が続きました。「ぼくが触りたい」「ぼくが世話したい」と大きな声で訴えてこられると、ついついその子どもたちの勢いにH保育士も圧倒される場面がありました。しかしその陰には、やりたいけれどできない、寂しく不満を抱いている子がいる事を彼は、充分わかっていました。
「さてさて、どうしたものか。これはイカン」。できるだけ多くの子どもたちに、虫を好きになってもらい、お世話もしてほしい。自分自身がそう願って、園からもそう期待されてはじめた“いきものがかり”の仕事なのに‥…。またまた、工夫が迫られたのです。
そこでヒントになったのが、幼児クラスの環境になっている「2つの時計」(1つは現在時刻、もう1つは次にすべき事とそれを開始する時刻=動かない時計)です。子ども自身が、視覚によって見通しをもって、自分の振る舞いや“いま”を理解しやすいように設定した環境です。
これまで、虫たちに触れたり、お世話するのは「自由」でした。「自由」は時と場合によって、混乱や不平等を招きます。そこで目に見てわかる「(止まった)時計」のアイデアを用いました。
まずは、「何時から世話をするのか」を「時計」で伝える。「今日は何の世話をするのか」それを「虫のカード」を作って掲示しました。「いつでも」「何でも」ではなくて、その日は、例えば、「カブトムシとカニ」というようにたくさんの生き物たちから2~3種類に絞り込んで、掲示しました。さらに「コーナー・ゾーン」のマグネットボードに習って、人数制限も設けました。
このような制約を設けることによって、子ども集団には「平等性」や「納得」が生れます。
制約がなければ、したい気持ちが先だって、とにかく、大きな声で言った者勝ち、先に行った者勝ち、になってしまい落ち着いた園生活を築くことができません。
制約を設けたとたんに「時計」を見て子どもが参加するようになりました。毎日、種類が変わりますから、自分が世話したい生き物のときに行こうとする子の姿が増えました。人数制限があるので、一人ひとりがお世話できる時間が長くなり、せかされることなく、ゆっくりできるようにもなりました。毎日、「視覚情報」が、子どもたちに届くので、それが「安心」や「納得」、そして、「我慢」する気持ちを自然に育みます。このような「生活規範」をつくっていくことが「落ち着いた保育の基本」であると考えます。H保育士なりのがんばりでした。(パチ、パチ、パチ)
これから、さらに新たな保育課題も生まれるでしょう(実際、起きているかもしれません)。
虫を触りまくることは、早死の原因になります。また乱暴に扱うこともあります。こんなとき、どうすればよいでしょう。(私自身、幼少期、ずいぶん残酷な扱いをしてきました。個人的感想ですが、時代の進歩とともに、残虐な扱いをする子の数は激減し、慈しみを抱く子が増えていると思います)
今、生き物たちがしんだとき、なんでだろう?と話し合ったり、お墓をつくって土に還したりしているようです。今後は、ただ単にお世話するだけでなく、その生き物について、図鑑や保育者と共にネットで調べる環境や日常をつくって、実際に触れながら「知識として理解」することも「生き物への愛情」と捉えた保育を展開すると期待しています。 【資料提供:星野 悠也】
週刊メッセージ“ユナタン”24(はっと)
2017年1月6日 金曜日
≪ユナタン:24≫ at はっとこども園
~ 三人三色の感触 ~
平成28年10月21日 片山喜章(理事長)
乳児の保育(遊び)に欠かせないものの1つに、絵具、片栗粉、寒天、土、泥、砂…などに触れる“感触遊び”があります。けれども“素材”によって、また“素材との出会い方”によって好き嫌いがはっきりする場合があります。好奇心と恐怖心、心地良さと不快感が入り混じった不思議な世界が感触遊びです。毎回、担任は、いかに工夫を凝らすのか、その子らしさが毎回、どう現れるのか、毎回、毎回、興味深いのです。
≪そんなつもりじゃない…≫
紙と絵具と水を用意して、担任が「いまから、絵具するからね~」の声をかけると、まっ先にやって来たのは、これまでの感触遊びでは手が汚れることを嫌っていたAくんでした。「わぁ~Aくん、自分から来てくれた~」と少しうれしくなった担任が、水と絵具を目の前に差し出すと…、そのとたん「ぎゃ~!」と泣きながら椅子から飛び降りて逃げていきました。「どうして?」と担任は不思議に思いました。けれども、よく考えると、その場所は、Aくんが机上遊びをするときの場所でした。Aくんはきっと机上遊びの玩具が出てくるはずだと思っていたのかもしれません。そこに苦手な絵具が出て来て、赤や青のどろりとしたカタマリを見たので、ビックリした、というところでしょう。
担任たちは、そんなAくんの姿を微笑ましく見守っていましたが、その場を避難したAくんをみると、その目には、驚きと困惑のようなものが滲んでいました。
「ごめん、ごめん、そんなつもりじゃなかったのに」と担任。一方のAくんの方も、「ぼくだって、そんなつもりで、そこにすわったんじゃない!」と言いたげでした。
こんなふうに“その子の思い”と“担任の思い描くもの”がうまく溶け合わないことが乳児のお部屋ではしばしば起こるのです。それはそれで良い事だと思います。そんな色違いの思いが混じり合うなかで、双方が学び合い、育ち合うと考えるからです。
≪2人ですれば怖くない≫
この絵具の感触と色合いを楽しむ活動は、2人ずつ、2つのテーブルを使って行なっていました。今年度、入園したBくんにとって、絵具や感触遊びは、不慣れです。自分の番が来るまで、パーテーション越しに、恐る恐る2つのテーブルで、絵具に触れている友達の様子をのぞき込んでいました。とても気になります。興味と不安が入り混じった表情でしっと見ています。そして、自分の番がやってきました。目の前に絵具が置かれると、しばらく手はひざの上に置いたまま。ジーっと“観察?”していました。
しかし、まもなくBくんの隣に座ったCちゃんが豪快に絵具をべったり手につけて、パン、パン、パン! スタンプのように手のひらで机を叩くのを見てスイッチがON。
2人でリズム打ちをするように机をパンッパンッパンッ! と叩き始めるも色がつかない! あれ? Cちゃんをチラリ。Cちゃんは、絵具を面白そうに手に付けていました。“なんだ~怖くないんだ”とBくんは感じ取り、自分も絵具に指を入れて、Cちゃんと目を合わせて、いっしょにバンッバンッバンッ! 表情は一気に変わり満面の笑み。
辺りには、色しぶきが飛び散り、担任は、少し困ったような表情を演じました。自分たちが、はしゃいで担任を困らせるのは、楽しいものです。その姿を見て、2人は、さらに勢いよく、バンバンと色のついた手のひらを机に叩きつけていました。
「(Cちゃんと)2人ですれば、絵具なんか、怖くない」とBくん。「2人ですれば、センセイなんか怖くない」そんな姿のBくんとCちゃんでした。
≪ほんとは触れたいけど…≫
Bくん、Cちゃんのはしゃいでいる様子を2メートルくらい離れて見ていた子どもがいました。あのAくんです。実は、椅子から飛び降りて逃げた後、他の友達が絵具に触れている様子を担任は観察したのです。自分が嫌だと感じた事、それを他の友達はどんなふうに感じているのか、1歳児の子どもでも関心を持っているのです(スゴイ)。
この時、大人のかかわり方は様々です。「無理矢理にでも経験させようとする大人」、「あれやこれやと誘いの言葉を投げかける大人」、そしてとうとう“弱虫”“情けないなあ”と「落胆した気持ちをその子にぶつけてしまう大人」、そうではなくて「そんな子どもの姿をそっと見守り、その子の気持ちに寄り添う大人」、このような大人の振る舞い方しだいで、その子の人柄は変わっていくことをあらためて確認したいと思います。
その時、担任たちは、逃げていったAくんの様子を気にしつつも、あえて見ていないフリをしていました。目が合うと、ふたたび恐怖を感じる可能性があるからです。
しかし、担任たちは、これまでのAくんの姿をよく知っていたので、少し待ってあげることにしました。待ってあげている担任の気持ちに応えるように、Aくんの恐怖心は好奇心へ、そしてチャレンジする態度に変容したのです。1歩ずつ、その席に近づいていきます。遂に手を伸ばせば触れられる距離に立って、にらめっこ。次の瞬間、1本指で…チョン。絵具の感触にびっくり! あわてて絵具のついた指をみて、ブルンブルンと手を振りながら急いで担任のもとへ走っていきました。「やった~」という思いなのか「気持ち悪い」という逃避なのか、定かではありませんが、自分から触れたのでした。
特に乳児の場合、担任は、どの程度、待つか、見守るか、その判断が難しく、面白味でもあると思います。しかし、今回も結局、友達の姿に触発されて、そこでチャレンジ精神が芽生え、行動に至ったと考えるのが妥当でしょう。 【資料提供:西尾友里】